「お、センセ。なぁに熱心な目で見てんのや」
体育の授業中に休憩している男子生徒たち。ぼうっとした顔を覗き込んで、トウジがシンジの目を覚ます。
「いや……別に」
「綾波か? ひょっとして」
トウジの肩に飛び乗ったケンスケが、興味津々の眼差しをシンジに向ける。
「ち、違うよ」
挙動不審のシンジを見てケンスケが身を乗り出す。
「まったまたぁ。あ・や・し・い・な」
座ったままケンスケに押しつぶされそうになっていたトウジは「あ、綾波の胸、綾波の太もも、綾波のふ・く・ら・は・ぎ」と言って押し返すと、暑苦しい顔をシンジに近づける。
「だ、だから、そんなんじゃないって」
「だったらなに見てたんだよ」
男として期待はずれの答えに拍子抜けしたケンスケは尋問を始める。
「ワシの目はごまかされへん」
それに続くトウジ。
しかし、シンジは神妙な面持ちで視線を地面に向ける。
「どうしてあいつ、いつも一人なんだろうって思ってさ」
「まぁそない言うたら、一年のとき転校してきてから、ずうっと友達いてないなぁ」
「エヴァのパイロット同士だろ? シンジが一番よく知ってるんじゃないの」
「そらそうや」
そう言われて、シンジは「ほとんど口、訊かないから」と言う。
エヴァの前で、ゲンドウと親しげに会話するレイの姿が蘇る。
「いい子よとても。あなたのお父さんに似て。とても不器用だけど」とリツコは言う。
「不器用って、なにがですか?」
「生きることが……」
レイのマンション。開発中の工事の音が周囲に響いている。人けのない廊下で、シンジは「綾波」の部屋の呼び出しボタンを何度か押してみる。返事が無い。仕方が無いので、シンジはドアを恐る恐る開けて中を覗く。
「ごめんんください……。ごめんください! 碇だけど。綾波、入るよ」
シンジは声を掛けながら、キッチンのある廊下を抜けてゆっくりと中に入っていく。
薄暗い部屋。打ちっぱなしのコンクリートで出来た平坦な作りの壁。じめじめした空気。カーテンの隙間から光が差し込んでいる。血の付いた枕。脱ぎ捨てられた制服がベッドの上に置いてある。部屋の隅にポツンと置いてある冷蔵庫は、腰くらいの高さで、一人暮らしでも十分とは言えないような大きさだ。冷蔵庫の上には、薬だと思われるいくつかの錠剤と瓶が置かれている。冷蔵庫の脇にはダンボールが置かれ、血だらけの包帯が放り込まれている。シンジはまるで生活感のない部屋をもう一度見渡してみる。すると、窓際に置かれた机の上に眼鏡が置いてあることに気づく。
「ん? 綾波のかな?」
シンジは、ヒビの入った眼鏡を見て無意識に呟く。おもむろに手にとってそれを掛けてみる。
その時、さっき通ったキッチンの方から、ガラガラという音が聞こえる。シンジは振り向いてヒビの入った視界の中にレイの姿を捉えて動揺する。レイはシャワーを浴びたままの格好で、濡れた髪をタオルで拭いていた。レイは突然の訪問者に驚くというよりも、自分の所有物を勝手に触られてむっとしたというような表情で、シンジに歩み寄って行く。
「いや……あの、僕は別に……」
言い訳できずに取り乱すシンジ。レイは、シンジの掛けている眼鏡を無言でむしり取る。すると、足を滑らせたシンジがレイの方へ倒れ込むと、そのまま床へ押し倒してしまう。しかも、肩から下げたカバンのベルトが下着の入った引き出しに引っかかり、辺り一面に白い布を散乱させる。
「うわぁっ! うぅ」
さっきまでレイの体を包んでいたバスタオルの上に、体を投げ出されたレイ。その上に覆いかぶさるようにして膝を付いたシンジ。全ての状況に押しつぶされそうになるシンジ。すると、目を見開いてシンジを直視していたレイが、感情を一切排除した声で「どいてくれる」と一言だけ発する。
「……は、あぁっ」
自分の手に触れているものがレイの胸だったことに気づいて、弾き飛ばされるように立ち上がるシンジ。
「あ……あの……」
レイは、あらゆる部分を隠そうとせずにそのまま立ち上がると、まるでシャワーを浴びてから何も起こっていないというような仕草で下着を身につける。
「なに?」
シンジは、レイの声を聞いて手に残る胸の感触から覚める。
「え、いや、僕は……その」
着替えを続けるレイの後姿に気をとられてなかなか言葉が出てこないシンジ。
「僕は……た、頼まれて、つい……なんだっけ、カードを新しくなったから、届けてくれって。だから、だから別に……そんなつもりは……」
レイは着替え終わると、眼鏡をケースにしまって見つめる。シンジがそこにいる理由など、全く気にしていないかのように。
「ねぇ。綾波は怖くないの? またあの零号機に乗るのが」
NERV本部へ向かう途中の長い長いエスカレーターの上で、シンジはレイに尋ねる。
「どうして?」
「前の実験で大怪我したって聞いたから、平気なのかなって思って」
シンジは自信のない声で、目の前に立っている一段下のレイに向かって言う。
「あなた、碇司令の子供でしょ」
エスカレーターの進む方をじっと見たままのレイは言う。
「うん」
「信じられないの? お父さんの仕事は」
その言葉に表情を強張らせて反応するシンジ。
「当たり前だよ! あんな父親なんて」
すると、レイはシンジの方へ振り返り、一段エスカレーターを上ると、シンジを鋭い眼差しで見据えて、頬を平手で打った。
シンジは病院のベッドで目を覚ました。その傍らには制服姿のレイが立っていた。
「綾波……」
ひぐらしの鳴き声だけが聞こえる病室で、レイはメモを取り出して読み上げる。
「明日、午前0時より発動される、ヤシマ作戦のスケジュールを伝えます」
「碇、綾波の両パイロットは、本日一七:三〇、ケイジに集合」
「一八:〇〇、初号機および零号機、起動」
「一八:〇五、発進」
「同三〇、二子山仮設基地に到着」
「以降は別命あるまで待機」
「明朝、日付変更と共に作戦行動開始」
それだけ伝えると、レイは食事の乗ったトレーを指して起きるように促す。
「食事」
「何も……食べたくない」
体を起こそうとしないシンジ。
「60分後に出発よ」
「また、あれに乗らなきゃならないのか……」
「ええ、そうよ」
「僕は……嫌だ。もうあんな思いしたくない」
レイはずっと変わらない平坦な口調でシンジに伝える。
「じゃあ、寝てたら」
「寝てたらって」
シンジは体を起こしてレイの方へ向く。
「初号機には、私が乗るわ。赤城博士が初号機のパーソナルデータの書き換えの用意しているわ」
「リツコさんが……」
病室にはひぐらしの泣き声だけが響いていた。
「危険です! 下がってください!」
実験中に暴走した零号機がコントロールルームへ向かって来るのを見て、リツコはゲンドウに注意を呼びかけた。制御不能に陥った零号機の拳が、コントロールルームの窓ガラスを破壊する。その状況をじっと静観するゲンドウ。外部電源を強制射出された零号機は、尚も暴走を止めずに暴れ回る。壁を殴り続けた零号機は、ようやく活動限界を向かえて停止する。
「さよなら」
月明かりに照らされたレイが出撃前に言った一言。
第5使徒ラミエルの放った荷電粒子砲から初号機を守るために、正面から零号機が受け止める。
「綾波は、なぜこれに乗るの?」
「絆だから」
「絆?」
「そう。絆」
「父さんとの?」
「みんなとの」
「強いんだな。綾波は」
「私には、他に何もないもの」
そう言ってレイは立ち上がる。
「さよなら」
陽電子砲による超長距離狙撃で使徒を倒したシンジは、攻撃を受けてドロドロに溶けた零号機の元へと駆け寄る。レイの乗ったエントリープラグは高熱で湯気を発している。それでも、シンジはハッチを力ずくでこじ開け、レイの安否を確かめるためにプラグ内へと飛び込んで行く。
「綾波! 大丈夫か? 綾波っ!」
ゆっくりと目を開けてシンジの方へレイが顔を向ける。その姿を見てほっとしたシンジは、思わず涙を浮かべた。
「自分には……はほかに何も無いって、そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて、悲しいこと言うなよ……」
目の前で肩を震わせるシンジを見て、レイがコックピットから体を起こす。
「なに泣いてるの?」
レイは泣いているシンジを目の当たりにして、感じたままを口にする。
「ごめんなさい。こういう時どんな顔をすればいいのか分からないの」
すると、俯いていたシンジが顔を上げて、優しい表情を浮かべた。
「笑えばいいと思うよ……」
そう言ったシンジの顔に、レイはゲンドウの面影を重ねる。その暖かい記憶に、自然と柔らかな表情がこぼれる。
「……綾波」
片腕を無くした零号機が、N2爆弾を抱えて地上に姿を表す。
「構いません。行きます。私が死んでも、代わりはいるもの」
第14使徒ゼルエルへと突進していく零号機。
「自爆する気!?」
リツコが声を上げる。
「レイ!」
ゲンドウが身を乗り出す。
N2爆弾で殴りかかる零号機を使徒のA・T・フィールドが食い止める。
「A・T・フィールド全開」
レイはA・T・フィールドを侵食すると、そのまま敵の懐へ飛び込んでゆく。しかし使徒は、N2爆弾が命中する直前にコアをシールドで固めた。レイはそれに気づいた。が、周囲は凄まじい爆風に包まれ、巨大な炎が使徒と零号機を呑み込んだ。
「夢?」とレイが聞く。
「そう。あんた見たことないの?」
かつて病院の廊下でアスカが言った言葉。
ターミナルドグマに隔離されたリリスに突き刺された、ロンギヌスの槍を前にする零号機の姿。
「ゼーレが動く前に全て済まさねばならん」
「今、弐号機を失うのは得策ではない」
ゲンドウは、なんとしても自分のシナリオを進めたかった。
「かと言って、ロンギヌスの槍をゼーレの許可なく使うのは面倒だぞ」
冬月は慎重に事を進めようとする。
「今日は寝ていて。後は私たちで処理するわ」
レイがシンジに語りかける。
「うん。もう、大丈夫だよ」と答えるシンジ。
「そ、良かったわね」
大空に向かってロンギヌスの槍を零号機が放つ。雲を引き裂いて直進した槍は、そのまま地球上空に浮かぶ目標へ向かって飛んで行く。強烈な勢いで第15使徒アラエルに迫った槍は、A・T・フィールドごと貫き、その光る鳥のような姿を消滅させた。
二重螺旋の光る飛行物体・第16使徒アルミサエルとの戦い。
「レイ、応戦して!」
ミサトが叫ぶ。
――綾波レイ。14歳。マルドゥックの報告書によって選ばれた最初の一人。〈ファーストチルドレン〉エヴァンゲリオン零号機専属操縦士。過去の経歴は白紙。全て抹消済。
「目標、更に侵食」マヤの声がスピーカー越しに聞こえる。
使徒の侵食によって精神攻撃を受けて苦しむレイ。零号機の危険な状態を援護するため、地上に出される弐号機。
「発進、いいわね! エヴァ弐号機リフトオフ!」
ミサトの号令に反応しない弐号機。
「出撃よ! アスカ! どうしたの? 弐号機は?」
マヤが慌てて振り返る。
「だめです! シンクロ率が二桁を切ってます」
「アスカ!」
ミサトがアスカの身を案ずる。
「動かない……動かないのよ」
コックピットでただ泣くばかりのアスカ。
その頃、使徒に侵食されていたレイは初めて体感する感覚に気づき始める。
「痛い。いえ違う、〝さびしい〟――そう、寂しいのね」
自分の瞳から零れ落ちる涙を見て驚くレイ。
「泣いてるの? 私」
使徒の侵食が加速する。
「レイ!」
打つ手を無くしたミサトが危機感を募らせる。
「初号機の凍結を現時刻をもって解除。直ちに出撃させろ」とゲンドウが言う。
「え?」驚いて振り返るミサト。
「出撃だ」
断固とした態度のゲンドウ。
「はい」
緊急出動する初号機。その状況にますます自信を失っていくアスカ。
「なによ。私の時は出さなかったクセに」
地上に出た初号機が体制を整える。
「A・T・フィールド展開。レイの救出急いで」
ミサトの声に姿勢を正すシンジ。
「はい!」
――碇君のにおいがする。
初号機の動きを察知し、攻撃を仕掛ける使徒。
「碇君!」
レイがシンジの方を見る。
「これは私の心。碇君と一緒になりたい」
細長い体で素早く動き回る使徒は、初号機の武器を破壊して追い詰めてゆく。
「だめ!」
レイが状況を変えようとする。
「A・T・フィールド反転」
マヤが状況の変化に気づく。
「だめ、私がいなくなったらA・T・フィールドが消えてしまう。だから、だめ」
そう言ってレイは、緊急用のハンドルに手を掛ける。
「レイ……死ぬ気?」
ミサトがレイの結末を悟る。
その時、レイは光の中で穏やかな眼差しを向けるゲンドウの姿を見る。そして、使徒を取り込んだ零号機は大爆発を起こして消滅する。
その12年前――。
大きな湖は暖かい日差しを受けてキラキラと輝いている。その景色が見える木の木陰で涼みを取る冬月とユイの姿。
「今日も変わらぬ日々か。この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ。ゼーレの持つ裏死海文書。そのシナリオのままだと、十数年後に必ずサードインパクトが起こる」
「最期の悲劇を起こさないための組織。それが〝SEELE〟とゲヒルンですわ」
「私は、君の考えに賛同する。ゼーレではないよ」
冬月は湖の方を見たままユイに話かける。
「冬月先生。あの封印を世界に解くのは、大変危険です」
「資料は全て碇に渡してある。個人で出来ることではないからね。この前のようなマネはしないよ」
冬月はベビーカーに向かって子供をあやすユイの方を見る。
「それと、なんとなく警告も受けている。あの連中が私を消すのは造作もないようだ」
「生き残った人々もです。簡単なんですよ。ヒトを滅ぼすのは」
「だからと言って君が被験者になることもあるまい」
ユイはベビーカーから男の子を抱きかかえると、甘えてくる小さな手の持ち主を見つめながら言う。
「全ては流れのままにですわ。私はそのためにゼーレにいるのですから。シンジのためにも」
――〝IKARI YUI / 1977 – 2004〟
母・ユイの墓前に花を手向けてひざまずくシンジ。その後ろに立ったゲンドウはシンジに言う。
「3年ぶりだな。二人でここに来るのは」
「僕は、あの時逃げ出して、その後は来てない。ここに母さんが眠ってるって、ピンと来ないんだ。顔も覚えてないのに」
ゲンドウは感傷を交えない口調で続ける。
「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが決して忘れてはならない事もある。ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。私はその確認をするためにここへ来ている」
「写真とかないの?」
シンジが立ち上がって尋ねる。
「残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体はない」
ゲンドウはユイの墓石から目を背ける。
「先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」
釈然としないものを残したまま現実を受け入れるシンジ。
「全ては心の中だ。今はそれでいい」
その5年前――。
死ぬ前の晩、母さんが言ってたわ。MAGIは三人の自分なんだって。科学者としての自分。母としての自分。女としての自分。その三人がせめぎ合っているのが、MAGIなのよ。
「人の持つジレンマをわざと残したのね」
母・ナオコと並んで完成したMAGIを見下ろすリツコ。
「そういう冷めたところ、変わらないわね。自分の幸せまで、逃しちゃうわよ」
ナオコは椅子に腰掛けながら、娘に言葉を掛ける。
「幸せの定義なんてもっと分からないわよ。さてと、飲みに行くの久しぶりだわ」
そう言ってリツコは帰り支度をするために出口へ歩き出す。
「お疲れ様」
娘の背中に声を掛けるナオコ。
リツコが去って静けさを取り戻した発令所で、ふと人の気配を感じたナオコが通路の方へ目を向ける。そこには、幼いレイがナオコのいる方を見て佇んでいた。
「なにかご用? レイちゃん」
笑顔で迎えるナオコ。
「道に迷ったの」
「あらそう。じゃ、あたしと一緒に出よっか」
姿勢を低くしてレイに言葉を掛けるナオコ。
「いい」
無表情のまま答えるレイ。
「でも、一人じゃ帰れないでしょ?」
小さな子供を気遣うナオコに、レイは冷淡な表情のまま答える。
「大きなお世話よ。ばあさん」
「……なに……」
一瞬自分が何を言われたのか分からなくなるナオコ。
「ひとりで帰れるからほっといて。ばあさん」
ナオコは椅子の上で姿勢を戻すと、なんとか冷静に対応しようとする。
「人のことばあさんなんて言うもんじゃないわ」
「だってあなた、ばあさんでしょ」
止めようとしないレイに怒った表情を見せるナオコ。
「怒るわよ。碇所長に叱ってもらわなきゃ」
しかしレイは更に続ける。
「所長がそう言ってるのよ。あなたのこと」
その言葉にショックを隠せないナオコ。
「ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済だとか」
ナオコの頭の中でレイの言葉とゲンドウの顔とが交差して理性を蝕んでいく。
気が付くと、ナオコはレイの細い首に手を掛けていた。
「あんたなんか」
第14使徒ゼルエルの攻撃に退路を絶たれたエヴァ初号機。暗いエントリープラグの中でシンジが聞いたのは確かに鼓動の音だった。その後、活動を再開した初号機は、使徒の腕を掴むと無理やりに体を引き寄せ、その巨体を蹴り飛ばして立ち上がる。
「エ、エヴァ再起動」
破壊された第1発令所から外に非難している一同の目の前で起こっている事実を、マヤがそのまま伝える。
エヴァは失った左腕に使徒からもぎ取った腕部を巻き付けると、そのまま同化して自分の腕を再生させてしまう。その状況を見てミサトは息を呑む。
「凄い」
「まさか……信じられません。初号機のシンクロ率が400パーセントを超えています!」
マヤがノートパソコンのモニターに映し出された数値をリツコに報告する。
「やはり目覚めたのね。彼女が」
リツコはエヴァ本来の姿を見てその力強さに圧倒される。
初号機は雄叫びを上げて手を振り下ろすと、使徒の攻撃を衝撃波だけで跳ね返し、A・T・フィールドさえも真っ二つに切り裂いてしまう。更に、四つん這いになって使徒に近づくと、すでに瀕死の状態で横たわる巨体に覆いかぶさってゆく。最期の力で反撃しようとする使徒の攻撃をいともたやすく封じた初号機は、剥き出しの歯で使徒の体に喰らい付いてゆく。
「使徒を……喰ってる」
そのあまりにもおぞましい光景に驚愕するミサト。
「S2機関を、自ら取り込んでいると言うの? エヴァ初号機が」
リツコは予想だにしない展開を目の当たりにしてもなお考えようとする。
「うっ」
グロテスクな光景を見て、思わず吐き出しそうになるマヤ。
使徒を喰らい尽くした初号機は、立ち上がると自らの体を変化させていく。
「拘束具が!」
リツコの言葉に反応するマコト。
「拘束具?」
「そうよ。あれは装甲板ではないの。エヴァ本来の力を、私たちが押さえ込むための拘束具なのよ。その呪縛が今、自らの力で解かれていく。私たちにはもう、エヴァを止めることはできないわ」
その光景を見守っていた加持は、一人届かない言葉を口にする。
「初号機の覚醒と解放。ゼーレが黙っちゃいませんな。これもシナリオのうちですか? 碇司令」
司令室のガラス越しに事の成り行きを見守るゲンドウと冬月。
「始まったな」と言う冬月に対してゲンドウは答える。
「ああ。全てはこれからだ」
何も知らないシンジの乗った初号機は、騒然となる人を足元に雄叫びを上げていた。
薄暗い病室のベッドで目を覚ましたレイ。
「まだ生きてる」
第一神経外科の廊下。
夜が開けて白む窓に手を当てて外を眺めるレイの元に、駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「綾波!」
「良かった。綾波が無事で……あの、父さんは来ないんだ……ありがとう、助けてくれて」
レイが生きていたという現実にほっとするシンジは、廊下の壁に寄りかかってレイに語りかける。
「なにが?」
「なにがって、零号機を捨ててまで助けてくれたんじゃないか。綾波が」
ベンチに座ったレイは、どこか慣れない場所にいるような雰囲気で答える。
「そう。あなたを助けたの」
「うん……覚えてないの?」
どこか様子がおかしいレイの方を見てシンジが聞く。
「いえ。知らないの。多分、私は三人目だと思うから」
セントラルドグマにあるダミーシステムの秘密を明かしたリツコ。巨大な水槽に入った綾波レイの〝入れ物〟を前にするシンジとミサト。
「綾波……レイ」
「まさか、エヴァのダミープラグは」
「そう。ダミーシステムのコアとなるもの。その生産工場よ」
リツコの言葉を聞いて現実を飲み込もうとするミサト。
「これが……」
大量のレイを前にして淡々と説明を続けるリツコ。
「ここにあるのはダミー。そしてレイのためのただのパーツに過ぎないわ。人は神様を拾ったので喜んで手に入れようとした。だから罰が当たった。それが15年前」
水槽の中で裸のレイが笑う。
「せっかく拾った神様も消えてしまったわ。でも今度は神様を自分たちで復活させようとしたの。それがアダム。そしてアダムから神様に似せて人間を作った。それがEVA」
「ヒト……人間なんですか!?」とシンジが言う。
「そう、人間なのよ。本来魂のないエヴァには、人の魂が宿らせてあるもの。みんな、サルベージされたものなの。魂の入った入れ物はレイ、一人だけなの。あの子にしか魂は生まれなかったのよ。ガフの部屋は空っぽになっていたのよ。ここに並ぶレイと同じ物には魂がない。ただの入れ物なの」
リツコは決心した表情でリモコンに手を掛ける。
「だから壊すの。憎いから」
リツコがスイッチを押すと、〝入れ物〟のパーツがバラバラになっていく。手や足や頭に見えるものが崩れ落ちて沈んで行く。
「あんた、何やってんのか分かってるの」
リツコの正気を疑ったミサトが銃を構える。それに対してリツコは、後悔と諦めが混じった表情で答える。
「ええ、分かっているわ。破壊よ。人じゃないもの。人の形をしたものなの」
――教室で雑巾を絞るレイ。その姿に何かを感じて見とれるシンジ。
「お・そ・い!」
講堂内に響くアスカの声。
「ごめんごめん」
少年は悪びれる様子もなく入ってくる。
演奏練習開始時間。
定刻――。
ヴァイオリン――第一絃。
「いこうか」
最後に来た少年は準備を終えて言った。
「うん」
シンジが頷く。
弦楽四重奏。
――JOHANN PACHELBEL
――Kanon
――D-dur