『エヴァ初号機、発進準備』
『主電源、接続』
『第1ロックボルト、外せ』
『アンビリカルブリッジ移動開始』
『第1拘束具、除去』
『同じく、第2拘束具を除去』
『了解。エヴァ初号機、射出口へ』
汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンのテストタイプ初号機を、初の使徒殲滅へ投入するための準備を進めるNERV本部。巨大なカタパルトへエヴァの機体が移送される間、場内にある無数の設備が役割を果たし、慌ただしく交差するオペレーターの声が響き渡る。
『発進準備完了』
「発進!」
ミサトの合図で射出ゲートから地上に飛び出した初号機の前に立ちはだかる第3使徒サキエル。
「最終安全装置、解除」
「エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ」
エヴァパイロットとなったシンジは、未だ経験したことのない未知の戦いへ、その一歩を踏み出してゆく。しかし、歩くこともままならない初号機は、一方的に使徒の攻撃に晒されてしまう。
「エヴァの防御システムは?」
リツコが状況を確認する。
「シグナル、作動しません」
マヤが声を上げる。
「フィールド、無展開!」
オペレーターの日向マコトが続ける。
腕を折られ、頭部に攻撃を受ける初号機。
「だめか!」
リツコが叫んだ瞬間、使徒の攻撃が初号機の頭部を貫き、そのままの勢いで吹き飛ばされる。初号機の頭部から赤い液体が噴出する――流血。
「状況は?」
ミサトが確認を急ぐ。
「頭部破損。損害不明」
オペレーターの青葉シゲルが速やかに報告する。
「活動維持に問題発生」
モニターに映し出された神経回路が次々と断線する。
「パイロット、反応ありません!」とマコトが報告する。
「だめです! 完全に制御不能です」
マヤが事態を憂慮する。
「なんですって!?」
ミサトはシンジの身を案ずる。その時、完全に沈黙したはずの初号機の目に光が戻った。
「まさか……」
ありえない事態を目にして、思わずリツコが声を漏らす。
再起動した初号機が雄叫びを上げる。
「暴走……」
息を飲むリツコ。
体制を低く構えた初号機は、勢いを付けて高く飛び上がると、膝から使徒に体当たりを仕掛けた。
「勝ったな」
その光景を見た副司令官の冬月コウゾウは確信する。
一旦使徒から離れた初号機は、地上を駆け抜け、一気に間合いを詰める。再び至近距離まで近づかれた使徒は、目の前にA・T・フィールドを展開してエヴァの侵入を防ごうとする。
「初号機もA・T・フィールドを展開。位相空間を中和していきます!」
マヤの言葉通り、初号機は不可侵領域に食い込んでいった。
「いいえ、侵蝕しているのよ」
リツコは目の前で起こっている現象を冷静に受け止めようとする。
A・T・フィールドを破られた使徒は、光線を放つものの、初号機に効果はなかった。初号機は、使徒の腕を取っていとも簡単にへし折ると、後ろへ蹴り飛ばして馬乗りになり、その体を破壊していく。
追い込まれた使徒は、突然体を変形させると、初号機に巻きついて自爆を決行する。その瞬間、巨大な爆発と共に高く上がった火柱が夜空を照らした。凄まじい爆風の後、粉塵の影から帰還を果たす初号機の姿が確認される。モニターに映し出された光景に息を飲むリツコ。
「あれがエヴァの、本当の……姿」
自分の住むマンションにシンジを連れて行くミサト。
「シンジ君の荷物はもう届いてると思うわ」
コンビにの袋を手に持ったミサトは、廊下の先にある自分の部屋へとシンジを案内する。
「実は私も先日この町に引っ越してきたばっかりでね……さ、入って」
慣れないシンジは、ミサトの顔色を伺う。
「あの……お邪魔します」
「シンジ君、ここはあなたの家なのよ」
緊張するシンジを見かねたミサトは玄関に入るように促す。
「た、ただいま……」
遠慮がちに言うシンジに、ミサトは明るい笑顔で答えて見せる。
「おかえりなさい」
セカンドインパクト後の南極。
「彼女は?」
冬月は隔離施設のドアにある窓を覗いて横にいるスタッフに聞いた。
「例の調査団、ただ一人の生き残りです。もう2年近く口を開いていません」とスタッフが答える。
「ひどいな……」
無言で膝を抱えている少女を見て冬月はそう思った。
「それだけの地獄を見たのです。体の傷は治っても、心の傷はそう簡単には癒えませんよ」
そう言うと、スタッフは彼女の名前を冬月に伝えた。
「名は葛城……」
ある大学の構内にて。
「ミサトさん?」
学食に並んでいたリツコは、その日、明るい女性と知り合うことになった。
「そう葛城ミサト、よろしくね!」
屈託の無い笑顔を見せる彼女のことを、リツコは母への手紙にこう綴っている。
「母さん、先日葛城と言う子と知り合いました。彼女は例の調査隊ただ一人の生き残りと聞きました。一時失語症になったそうですが、今はブランクを取り戻すかのようにベラベラと良く喋ります」
ミサトは、幼い頃に思い知った現実から抜け出せないままでいた。
「良い子でいたいの」
「良い子にならなきゃいけないの」
「パパがいないから」
「ママを助けて、私は良い子にならなきゃいけないの」
「でもママのようにはなりたくない」
「パパがいないとき、ママは泣いてばかりだもの」
「泣いちゃだめ。泣いちゃだめ」
「だから良い子にならなきゃいけないの」
子供の頃はずっとそう思っていた。
「でも父は嫌い」
「だから良い子も嫌い」
「もう嫌い……疲れた」
ミサトは周囲には見せない心の闇を抱えたまま、シンジを自分の元で引き取った。その時は、自分が何を望んでいたのかまだ気づかないままに。
弐号機を運ぶ航路。アスカと加持は、甲板の上で寝そべって月を見上げていた。
「あぁ、ミサトって言うのは、加持さんの前にこっちにいた人。あんまり好きじゃないんだ。生き方わざとらしくて」とアスカは加持に言った。その時はまだ、加持とミサトの関係について彼女は知る由もなかった。
ミサトの家で、シンジは慣れない風呂に浸かりながら考え事をしていた。
「葛城ミサトさん……悪い人じゃないんだ」
「色々あったんだ。ここに来て」
「来る前は、先生の所にいたんだ」
「穏やかで何もない日々だった。ただそこに居るだけの」
「でもそれでも良かったんだ。僕には何もすることが無かったから」
「できることも、僕は何も無かったから……」
「人間が嫌いなのかい?」
カヲルの声が聞こえる。
「別に、どうでも良かったんだと思う」とシンジは答える。
「ただ、父さんは嫌いだった」
シンジは虚ろな目でエヴァに乗っていた。第3使徒との戦いの後、精神的ショックを心配する周囲をよそに、淡々とシミュレーションをこなしていた。
「しかし、よく乗る気になってくれましたね、シンジ君」
マヤがリツコの方を伺う。
「人の言う事にはおとなしく従う。それがあの子の処世術じゃないの?」と客観的分析をしてみせるリツコ。
ミサトは今回の件でシンジの心境に変化があったことに気づいていた。
シンジは淡々と「目標をセンターに入れてスイッチ」と言って、指示されたままの〝作業〟を繰り返す。
第4使徒シャムシエルとの戦いで、シミュレーション通りに行動するシンジ。しかし、激しい攻撃に合い外部電源を切断してしまう。活動限界のカウントダウンが始まる。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」
シンジは、今までの自分を振り払うようにして反撃に転じる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
勢い良く山の斜面を滑り降りて行く初号機。シンジは叫びながら使徒のコアにプログレッシブ・ナイフを突き立てる。なんとか気迫で押し切ったシンジは、活動限界ぎりぎりのところで使徒を沈黙させる。
後日ミサトによる報告。
――『本日、澄み渡った青空より第4の使徒襲来。初号機の迎撃により、辛くも撃破』
「シンジくーん。起きなさーい。いつまで学校休む気? 初号機はもう完全に直ってるのよ。パイロットのあなたがそんなことでどうするの?」
第4の使徒との戦闘の後、学校を休み続けているシンジを説得しようとするミサト。
「シンジ君?」
返事のない部屋の扉を開けると、そこにシンジの姿はなく、机の上に身分証と手紙が置かれていた。
――『四日前より、うっとおしい雨続く。サンプルの解体作業、悪天候により捗らず。この日、他に特に記すべきことなし』
電車に乗ってミサトの元を離れるシンジ。徐々に乗客が減っていく車内でひたすら音楽を繰り返し聞き流すうちに、第3新東京市の玄関口「桃源台」に行き着く。
――『今日は久しぶりに太陽を見るも、結果として晴れ時々曇りとなり、この日も特に記すべき事項なし』
シンジは、バスを乗り継いでひたすら人里から距離を置こうとする。すると、偶然山でキャンプを張っていたクラスメイトの相田ケンスケに出会い、食事を共にすることになる。
「夜はいいよな。あのうるさい蝉が鳴かないから。小さい頃は静かで良かったけど、毎年増えてる」と語るケンスケ。
夜の森は鈴虫の鳴き声で満たされていた。
「生態系が戻ってるって、ミサトさんが言ってた」
シンジは力の抜けた声でそう呟く。
「ふーん。ミサトさんね」
ケンスケは自分の心境をシンジに理解して欲しいような口調で話す。
「まったく羨ましいよ。あんな綺麗なお姉さんと一緒に住んでて、エヴァンゲリオンを操縦できて」
NERVに連れ戻されたシンジに、ミサトは確かめるように問いかける。
「エヴァのスタンバイできてるわ。乗る? 乗らないの?」
「叱らないんですね。家出のこと」
暗い隔離室の椅子に座ったまま、シンジは顔を上げようとしなかった。
「当然ですよね。ミサトさんは他人なんだから」
半ば諦めたような口調でシンジは聞く。
「もし僕が乗らないって言ったら、初号機はどうするんですか」
「レイが乗るでしょうね。乗らないの?」
シンジの態度に対して慎重に言葉を返すミサト。
「そんなことできるわけないじゃないですか。彼女に全部押し付けるなんて」
「大丈夫ですよ。乗りますよ」
自分の意思を投げ出そうとするシンジ。
「乗りたくないの?」
ミサトはシンジの本心を確かめる。
「そりゃそうでしょ。だいいち僕には向いてませんよそういうの。だけど、綾波やミサトさんやリツコさん……」
「いいかげんにしなさいよ!」
自分の殻に閉じこもって出てこようとしないシンジに対して、ミサトは大声を上げる。
「人のことなんか関係ないでしょ! 嫌ならここから出て行きなさい! エヴァや私たちのことなんか全部忘れて、元の生活に戻りなさい」
息を吐き捨てるようにして、ミサトは感情を乗せた言葉をシンジにぶつける。
「あんたみたいな気持ちで乗られるの……迷惑よ」
その後、ミサトは自分の気持ちをシンジに押し付けているのかもしれないと気づくことになる。
クラスメイトの鈴原トウジは、自分の胸の内を正直にシンジに伝える。
「碇が居らんのやったら、いずれわしらもこの町から出て行かんならんようになるやろう。せやけど、わしら何も言われへん。エヴァの中で苦しんでる碇の姿見てるからなあ。碇のこと、とやかく言う奴がおったら、このわしがパチキかましたる!」
その言葉を聞いて、シンジは自分の感情に気づき始める。
「殴られなきゃならないのは僕だ! 僕は卑怯で、臆病で、ずるくて、弱虫で……」
シンジは何かをやり残した気持ちのまま、NERVの黒服に阻まれて駅のホームへと連れて行かれる。
ミサトは、二度と戻らないかもしれない少年に、最期の希望を抱いて駅のホームへと車を走らせる。
(シンジ君、だめよ逃げちゃ。お父さんから。何よりも自分から)
シンジに向かって、ミサトはまるで自分に言い聞かせるように思う。
エヴァ初号機パイロットとして第3新東京市に住むことになったシンジを心配するミサト。
「それでいいの? シンジ君」
「いいんです。一人の方が。どこでも同じですから」
シンジは割り切った表情をミサトに見せる。しかし、シンジの孤独の中に自分と同じものを感じたミサトは決心する。
夕日に染まる第3新東京市。それを見渡せる丘の上にシンジを案内したミサト。
「凄い。ビルが生えてく」シンジはその光景を見て素直に驚く。
「そしてあなたが守った街」ミサトは選ばれた子供の功績を称える。
時が経つにつれて、シンジはこれまで起こった現実を実感し始めていた。ベッドに横になったシンジの背中にミサトが声を掛ける。
「一つ言い忘れてたけど、あなたは人に褒められる立派なことをしたのよ。胸を張っていいわ」
「おやすみ。シンジ君、頑張ってね」
電車が過ぎ去った駅のホームで、ミサトは後悔しようとしていた。ため息を付いて顔を上げると、そこには電車に乗って自分の元を去ってしまったはずの少年の姿があった。
――『一時的にサードチルドレンが不調をきたす。心身の疲労が主な原因と思われる。大事を取り、四日間の休養を取らせる。現在は復帰。問題なし』
シンジは、ミサトの姿を見て自分の帰る場所を見つける。
「た、ただいま……」
「おかえりなさい……」
ミサトは、シンジと、そして自分とどう向き合っていくか考えさせられることとなった。
「おはよう碇君」
「あ、おはよう」
同、第三中学校講堂内。
弦楽四重奏 練習開始十分三十秒前。
「今日、何やるんだっけ」
席に着いた少女は、楽器を取り出しながらシンジに問いかける。
「パッヘルベルのカノン」とシンジが答える。
「いいわねーチェロは。和音のアルペジオだけなんだもん」
ヴァイオリン――第二絃。
調絃。
――Johann Sebastian BACH
――Partita III fur Violino solo
――E-dur,BWV.1006
――3.Gavotte in Rondo
長く、明るい色をした髪の少女は、姿勢を整えると、優雅な音色を奏で始める。