「ゼーレの少年が第3の少年と接触。外界の様を見せたようだ。果たしてどう受け止めるのか、いいのか? 碇」
冬月は、司令室から見える外の景色を眺めながら言った。
「ゼーレのシナリオを我々で書き換える。あらゆる存在はそのための道具に過ぎん」
ゲンドウは机の上で手を組んで思惑を巡らせていた。
「お前の生き様を見せても息子のためにはならんとするか。私はそうは思わんがな」と冬月は返した。
「なんでだよ。こんなことになってるなんて……」
シンジは部屋のベッドに横たわってS-DATから流れる音楽に耳を塞いでいた。なんとかして自分の現状と世の中の現実に折り合いを付けなければならなかった。
「そうだ、綾波を助けたんだ。それでいいじゃないか」
「またいない。まだ読んでない……」
レイの部屋の前にやってきたシンジは、以前と変わらない状態の本を見て肩を落とす。
「何だよ……綾波もどうしちゃったんだよ、もうっ!」
シンジは廊下を歩きながら思いを巡らせる。しばらくして開けた場所に差し掛かったとき、冬月がベンチに腰を下ろしている姿が目に入った。シンジは軽く会釈をして通り過ぎようとした。その時、
「第3の少年。将棋は打てるか?」と冬月が言った。
「ええ、ルールくらいは……」とシンジは答えた。
「結構だ。付き合いたまえ。飛車角金は落としてやる」と言って冬月は立ち上がった。
がらんどうとした部屋に冬月と二人、シンジは将棋盤を挟んで向かいに座って駒を指した。
「心を静かに落ち着かせる。戦いに勝つために必要なことだ」
シンジは正座した足が落ち着かない。すると盤上を見ていた冬月が一言いった。
「三十一手先で、君の詰みだ」
シンジは観念したというように小さくうなった。
「ふぅむ……これなら楽しめるか?」と冬月は言って、駒入れの蓋を逆さまに版の上へ置いて将棋崩しの山を作った。
「老人の趣味に付き合ってくれて礼を言う」
シンジは静かに駒を指で引き寄せてゲームを開始した。
「私も臆病でね。口実でもなければこうして君と話す機会を持てなかった。君はお母さんを覚えているかね?」
シンジは少し意外なことを聞かれた様子で目を丸くした。
「いえ、まだ小さかったし。それに、母のものは全て父が処分したので」
冬月は、女性が子供を抱えて微笑んでいる写真をシンジの前に差し出した。
「この人は、綾波?」と言って、シンジは写真をまじまじと見つめた。
「君の母親だ。旧姓は『綾波ユイ』。大学では私の教え子だった」
その写真には、ユイを取り囲むようにして二人の男性と一人の女性が写っていた。ユイは幼いシンジに優しい眼差しを向けている。シンジは少し怯えた表情をしていた。もう一人の女性は、長い髪で赤い縁の眼鏡を掛けていた。
「今は、エヴァ初号機の制御システムとなっている」
冬月は将棋の駒を指でたぐり寄せながら、事も無げにそう言った。シンジは、始めて知ったその事実に少なく無い衝撃を受けた。その時、天井の照明が音を立てて光った。
「うむ。ようやく電源が復旧したか」と言って、冬月は天井を見上げた。
「ヱヴァのごく初期型制御システムだ。ここでユイ君が発案したコアへのダイレクトエントリーを、自らが被験者となり試みた。君も見ていたよ。記憶が消去されているがな。結果、ユイ君はここで消え、彼女の情報だけが綾波シリーズに残された。君の知っている綾波レイは、ユイ君の複製体の一つだ。その娘も君の母親同様、初号機の中に保存されている。全ては碇の計画だよ」
冬月はシンジにとって重要な情報を一気にまくしたてた。
「そんな……」
シンジの指が動揺で震える。駒がよろけて将棋の山が崩れた。ばらばらになった駒に冬月が指を掛ける。
「世界を崩すの事は造作もない。だが、作り直すとなるとそうもいかん。時と同じく、世界に可逆性はないからな。人の心にも。だから今、碇は自分の願いを叶えるためにあらゆる犠牲を払っている。自分の魂もだ。君には少し、真実を伝えておきたかった。父親の事も」
冬月は、一つ一つ駒を自分の陣へたぐり寄せ、将棋の陣形を整えて行った。話が終わると、シンジは無言で席を立ち、冬月に一礼してからその場を去った。今知ったことを整理するには時間が掛かり過ぎる。
「まったく嫌な役だ」
将棋盤の前に一人残った冬月は、独り言のようにつぶやいた。そして先程シンジに見せた写真に向かって、何かを確かめるように言った。
「ユイ君。これでいいんだな?」
「最後の契約の時が来る。もうすぐ会えるな、ユイ……」
ゲンドウは発令所のブリッジから巨大なリリスの顔を見ていた。綾波レイを大型化させたような顔が、薄笑いを浮かべて動きを停止している。
レイが部屋に戻ろうと階段を上がってきた時、沢山の積み上げられた本の前にかがみ込むシンジの姿に気づいた。近づいたレイに対して、
「なんで本、読まないんだよ……」とシンジは聞いた。
「命令にないから」とレイは答えた。
「命令か……じゃあもういいよ!」と言ってシンジは積み上げてあった本を押し倒した。
「ねぇ、綾波だよね?」
シンジは地面に手を付いたまま聞いた。
「そう、アヤナミレイ」とレイは答えた。
「だったら、あの時助けたよね?」
シンジは、自分の知っている記憶の最後の答えを求めた。
「……知らない」
最後の望みを断たれたシンジは苦悩の表情を浮かべてよろよろと立ち上がった。
「くっ……うぅ」
「碇君?」
レイは、何も言わずに立ち去って行くシンジを目で追った。
「助けてなかったんだ……綾波……」
シンジは誰もいない廊下を不安定な足取りで歩いていった。
「――何もしないで」ミサトの声が頭に響く。
「――あんたには関係ない」アスカの声が頭に響く。
「――エヴァにだけは乗らんでくださいよ」サクラの声が頭に響く。
「――エヴァに乗れ」ゲンドウの声が頭に響く。
「――知らない」レイの声が頭に響く。
「何してたんだ僕は……」
部屋の中でS-DATを再生していたシンジは、自分の無力さに耐えきれず奇声を上げてS-DATを放り投げた。
「あああああああああああああああああっっ!」
一直線に部屋を横切ったS-DATは、大きな音を立てて鉄のドアに跳ね返され、無惨にも床へ転げ落ちた。
※ ※ ※ ※ ※
うなるような轟音と共に、巨大な圧力釜にも似た設備の蓋が開いてワイン色の液体が吹き出した。その中に浸かっていたエヴァンゲリオン初号機が引き上げられる様子を、ゲンドウと冬月が見ていた。
「最後の執行者が遂に完成したか」
「ああ……これで道具は全て揃った」
全てはシンジの知らないところで、シナリオが進行していた。
※ ※ ※ ※ ※
「時が満ちた。いよいよだね。碇シンジ君」
カヲルは公園のピアノを奏でながら、来るべく時が来たことに思い耽る。
※ ※ ※ ※ ※
「いやだ! エヴァなんかもう乗りたくない! 綾波を助けてなかったんだ!」
シンジはカヲルに背を向けて、部屋の壁に頭を打ち付けた。
「エヴァに乗ったっていいことなんかなかったんだ! もういやだ! 何もしたくない!」
「そうして、つらい感情の記憶ばかりをリフレインさせてもいいことは何も生まれない」
カヲルはドアの近くの床に転がっていたS-DATを取り上げた。
「いいことなんかないよ……渚君が見せたんじゃないか……あの真っ赤な、どうしようもない世界」
「ヱヴァで変わったことはヱヴァで再び変えてしまえばいい」とカヲルは言った。
シンジは壁に頭をもたげたまま、絞り出すような声で苦悩する。
「そんなこと言ったって、エヴァも父さんもミサトさんも、何もかも信じられないよ!」
カヲルは真剣な面持ちで、ベッドの上で小さくなったシンジの背中を見つめていた。
「でも、僕は信じてほしい」
「できないよっ……ミサトさんたちが僕にこれを付けたんだ……もうエヴァには乗るなって。乗ったら死ぬって脅されて……」
カヲルは絶望に埋もれたシンジの方へと歩み寄った。
「もう……エヴァなんかどうでもいいんだ……」
無言のまま、カヲルの手がそっとシンジの首に掛かる。シンジは驚いて言葉を喉に詰まらせた。カヲルはシンジの首に巻かれていたチョーカーのロックを外して、それを自分の首へと移し替えてしまう。
「分かっている。リリンの呪いとエヴァの覚醒リスクは僕が引き受けるよ」
「渚君……」
思いもよらなかった出来事に、シンジは目を丸くした。
「気にしなくていいよ。元々は僕を恐れたリリンが作ったものだからね。いずれはこうするつもりだったんだ」とカヲルは明るい声で言った。その声は、シンジの動揺を和らげるものだった。
「碇シンジ君。君の希望はドグマの爆心地に残る二本の槍だけだ」
カヲルの拾ったS-DATはベッドの上に置かれていた。S-DATを挟んで、カヲルはシンジの隣へ腰を下ろして語る。
「それが補完計画発動のキーとなっている。僕らでその槍を手にすればいい。そうすればネルフもフォースインパクトを起こせなくなるし、第13号機とセットで使えば、世界の修復も可能だ」
「そうだね……うん、君になら出来るよ」とシンジは言った。
「君となら、だよ。エヴァ第13号機はダブルエントリーシステムなんだ。二人でリリンの希望となろう。今の君に必要なことはなによりも希望。そして贖罪と心の余裕だからね」
「凄いや……なんでも分かっちゃうんだ」
シンジの表情に少しの希望が戻る。
「いつも君の事しか考えていないから」
「ありがとう。渚君」
そう言ってシンジは微笑んだ。
「カヲル、でいいよ」
「僕も……シンジでいいよ」
カヲルは優しそうに笑って立ち上がった。そしてシンジの方へ手を差し伸べる。
「ピアノと同じだ。二人一緒ならいいことがあるよ。シンジ君」
「行こう。カヲル君」
シンジはカヲルの手を取って、決意の篭った声で答えた。
※ ※ ※ ※ ※
黒いプラグスーツに着替えた二人は、黒い機体のエヴァンゲリオンに乗り込んだ。シンジはS-DATを握り、それを見つめる。エヴァが起動してエントリープラグ内が光に包まれる。起動が完了すると同時に、目の前に広い映像空間が現れる。それと同時に、シンジのすぐ横にカヲルの乗ったコックピットが現れた。二人は目を合わせてうなずいた後、前を向いて息を吸った。
「エヴァンゲリオン第13号機、起動!」
――New EVA-Unit。
「信号来ました! 新型エヴァの起動を確認!」
WILLEのモニターが赤い警告に染まった。シゲルの報告を聞いてミサトが顔を上げる。
巨大な縦穴の空洞をゆっくりと降下して行くエヴァ13号機。カヲルの言った通り、二人はNERVの地下深くにあるドグマの爆心地を目指していた。
「僕らだけじゃないんだ……」
シンジは13号機の後を付いて来るもう一体のエヴァを見てそういった。
「マークナインの事かい? 援護のためだよ。ヴィレの動きを警戒しているのさ」
大きな鎌を持った〝Mark.09〟は、まるで死神のような雰囲気を醸し出していた。
「そんなの、僕らだけで十分だよ」――『綾波じゃないのに』
シンジの発した言葉がレイのコックピットにも届いた。レイは、その意味を確かめるように、耳にした言葉を復唱する。
「綾波じゃ、ない?」
シンジたちが進む縦穴は、深度が深まるにつれて光を失っていった。暗闇に突入すると、13号機の灯火したライトが壁を丸く照らし、その奇妙な素材を浮かび上がらせた。
「壁が」
シンジは赤く染まった壁を見て、その異様さに気づいた。
「ああ、全てインフィニティのなりそこない達だ。君は気にしなくていい」
壁には、無数の人形の残骸が張り付いいた。赤黒い幾何学的な模様がグロテスクだった。シンジはその異様な光景に、ただ口を紡ぐしかなかった。
「もうすぐリリスの結界だ。メインシャフトを完全にふさいでいてこの14年間誰の侵入も許していない」
縦穴の末端に差し掛かると、機体は空間が開けた部分に到達した。エヴァの足下には、ドーム状に盛り上がった瓦礫の山が見えた。
「まるで大きな蓋みたいだ」
「大丈夫さ。これを突破するための13号機だからね。二人ならできるよ」とカヲルは言った。
シンジは、カヲルの目を見て安心した表情でうなずく。
「うん」
シンジは、目をつむって意識を集中した。
「テンポを合わせよう。ピアノの連弾を思い出して。行くよ、シンジ君」
シンジは前を向いて決意の目を開いた。ピークを伝える電子音が鳴る。モニターが切り替わる。
―― Approaching:
―― Final Containment Seal
―― Bottommost Level Of Central Dogma
13号機の足の先端がドームの頂点に近づいた時、圧力に潰されるようにしてそれは崩壊を始めた。ドームの天井は、まるでエヴァを迎え入れるように大きな穴を空けた。崩れた天井が瓦礫となって降り注ぐ。
「やった!」
ドームに空いた穴を通って、二体のエヴァは降下を続けた。シンジは自分の通って来た方を見上げた。しかし、カヲルは足下を見据えて言った。
「着いたよ。セントラルドグマの最深部。サードインパクトの爆心地だ」
おびただしい数の髑髏が地面を埋め尽くして、まるで雪が積もっているような光景だった。雪の上には、エヴァの何倍もある巨人が跪いて、何かにすがるような形で絶命していた。
「これが、リリス?」
「だったものだ。その躯だよ」
「ミサトさん……命がけで守っていたのに」
「ん? あれは……エヴァ?」
「そう。エヴァ・マークシックス。自律型に改造され、リリンに利用された機体のなれの果てさ」
リリスの上に〝Mark.06〟は立ち、突き立てられた槍に貫かれた状態で動きを止めていた。その真っ白な機体は、まるで爬虫類の抜け殻のように無機質だった。遂に、13号機は最新部に降り立った。そこは地面といっても、人形の頭蓋骨が敷き詰まってできた塚だった。しかし、そんなことを気にしている暇は二人には無かった。
「あそこに刺さってるのが目標物?」
二人は塚の頂上に跪いたリリスの躯を見上げた。
「そう、ロンギヌスとカシウス。二本の槍を持ち帰るには魂がふたつ必要なんだ。そのためのダブルエントリーシステムさ」
「それなら、あっちのパイロットでもいいんじゃないの?」と言って、シンジは怪訝な顔で〝Mark.09〟の方を見た。
「いや、リリンの模造品ではムリだ。魂の場所が違うからね。さ、始めるよ」
13号機は頭蓋骨を踏みつぶしながらリリスに近づいて行った。一歩踏み出す度に、骨の砕ける乾いた音が聞こえる。その時、カヲルが異変を感じてエヴァの足を止めた。
「ちょっと待って、変だ」
カヲルは精悍な顎に手を当てて何かを考えているようだった。
「どうしたのカヲル君?」とシンジは聞いた。
「おかしい、二本とも形状が変化して揃っている」
カヲルはリリスの背中に突き刺さった槍を見てそう言った。しかし、シンジは先を急ごうとする。
「早く槍を抜こうよ。そのためにエヴァに乗ってきたんだから……」
突然、背後で爆発が起きた。爆発で生じた衝撃で13号機がよろめく。
「うわっ!」
骨の破片が舞って煙が辺りを包む。
「何だよこれ!?」
爆発の怒号が止まないうちに、天井からもう一体のエヴァが勢い良く姿を現した。その赤い機体は、真っ直ぐ13号機の頭上に降って掛かる。瞬時に展開したA・T・フィールドによって奇襲は免れたものの、シンジは意外な相手の襲来に気づいた。
「改2号機! アスカ!?」
13号機は、改2号機の攻撃をA・T・フィールドで弾き返す。改2号機は身を翻して体勢を立て直すと、頭蓋骨を砕いて着地した。
「何すんだよ! アスカ!」
「バカシンジ! あんたまさかエヴァに乗ってんの!?」
アスカは驚いた様子で目を見開いた。
「そうだよ、エヴァに乗って、世界を変えるんだ!」
「ガキが……だったら乗るな!」
アスカの叫びと同時に、改2号機がシンジの乗る機体に飛び掛かった。しかし、レイの操縦する〝Mark.09〟が、大釜を振りかざして改2号機を吹き飛ばした。空中にはじき出された改2号機に向かって、間髪入れずに〝Mark.09〟が追い打ちを仕掛ける。空中に飛び出した〝Mark.09〟が大釜を構えた瞬間、天井から放たれた閃光がレイを襲った。〝Mark.09〟は強い衝撃で地面に叩き付けられ、手を離れた大釜がぐるぐると宙を舞った。
「援護射撃、いっつも遅い!」
アスカは天井を見上げて叫んだ。
「めんごめんごー!」
マリは頭蓋骨の地面に膝をついた〝Mark.09〟に照準を合わせた。
「アダムスの器さん。せめて、足止めはさせてもらうにゃん」
8号機の放った長距離ライフルの閃光が、的確に〝Mark.09〟の機体に命中する。その隙に、アスカは13号機に向かって攻撃を仕掛けた。
「やああああああああああああ!!」
13号機が放出した飛行形の小型ユニットが改2号機にまとわりつく。改2号機の攻撃は、ことごとく小型ユニットに阻まれる。アスカは、それでも執拗に攻撃を続けた。しかし、13号機への物理的な攻撃は、全てA・T・フィールドによって完全に防がれた。
「なんで邪魔するんだアスカ! あれは僕たちの希望の槍なんだよ!?」
シンジは攻撃こそしないものの、自分を邪魔しようとするアスカに不満を抱いた。
「あんたこそ! 余計なこと! するんじゃないわよ! ガキシンジ! またサードインパクトを起こすつもり!?」
アスカは、それでも一歩も引こうとはしなかった。
「違う! 槍があれば、全部やり直せる。世界が救えるんだ!」
「……ホントにガキね」
アスカは、呆れて眉間に皺を寄せた。
「分からず屋!」
シンジは自分の想いを理解してくれないアスカに苛立ち、攻撃に転じた。13号機の飛行ユニットが改2号機に襲い掛かる。アスカは薙刀状の武器で応戦する。しかし、二機の小型ユニットはすばしっこく動き回って翻弄し、アスカの隙を付いて改2号機を弾き飛ばした。
「カヲル君も手伝ってよ!」
そう言ってシンジはカヲルの方を見た。
「カシウスとロンギヌス、対の槍が必要なんだ。なのにここには同じ槍が二本あるだけ」
カヲルはリリスに刺さった槍を見つめたまま思考を巡らせていた。彼には、シンジの呼びかけも、改2号機との戦闘も目には入っていないようだった。
「カヲル君!」
シンジが叫んでも、カヲルは思考を止めない。
「そうか……! そういう事か! リリン」
――巨大なリリスの顔。レイに似た、その目から血の涙が流れ出していた。ゲンドウは、それを独りで見つめ、佇んでいた。
「ゼーレの暫定パイロットさん! 聞こえてるでしょぉ? アダムスの器になる前に、そっから出た方がいいよぉ」
マリの通信が、レイのコックピットに届く。
「ダメ。それは命令じゃない」
レイの声が、マリのコックピットに伝わる。
「堅物だなぁ。あんたのオリジナルは、もっと愛想があったよん」
マリは眼鏡の位置を直して、思わせぶりの発言をする。レイは記憶に無い言葉の所在を理解しようとする。
「オリジナル……? 別の私」
「どうりゃあああああああああ!」
アスカがシンジたちの乗る機体に切り掛かった。13号機は後ろに避けた反動で、地面を覆い尽くす頭蓋骨を踏み砕いた。機体の軸が揺らいでコントロールを失った13号機を、改2号機の薙刀が正面から襲う。
「うわあああっ」
「でええええええええいいい!」
アスカが振りかぶった渾身の一撃は、小型ユニットを串刺しにして破壊した。
「カヲル君、どうしちゃったんだよ!」
シンジは戦おうとしないカヲルの方を向いて叫んだ。小型ユニットが爆発した影響で、エントリープラグの中は激しい揺れに襲われていた。しかしカヲルは、顎に手を当てて長考したまま微動たりともしない。
「うおおおおおおおおおおおお!」
改2号機は飛び上がると、持っていた薙刀を二つに分離し、二刀流となって3号機の脳天を襲った。
「アスカ! お願いだから邪魔しないでよ!」
「おとなしくやられろ! ガキシンジィィ!」
改2号機と13号機の武器が火花を散らして交わる。アスカが力を込めた瞬間、改2号機は動力を使い切りダウンした。
「こんな時にっ! コネメガネ! スペア!」
アスカがそう叫んだ瞬間、13号機は改2号機を手で撥ね除けた。その反動で、改2号機は大きく後ろへ吹き飛ばされた。
「っきゃあああああああ!」
「はあ……はあ……今のうちに槍を!」とシンジはカヲルに向かって言った。
「女に手を上げるなんて、最っ低」
アスカは地面に倒れた機体をなんとか起き上がらせようとした。
「スペア、行くよー!」
マリの声の後に続いて、エヴァのスペアエネルギーのタンクが投げてよこされた。
「やめようシンジ君。嫌な予感がする」
リリスの躯に向かって歩き出したシンジに向かって、カヲルは不安そうな声を掛けた。その顔色は明らかに悪い。
「だめだよカヲル君! なんのためにここまで来たんだよ!」
「もういいんだ。あれは僕らの槍じゃない」
「僕らの槍じゃないって……槍が必要だって君が言ったんだ。だから僕は、エヴァに乗ったんだよ!」
13号機は、リリスの大きな体によじ上って槍に近づいていた。シンジは、カヲルの言うことを聞こうとはしなかった。それどころか、カヲルと繋がっていた機能を断ち切り、独断で目的を果たそうとする。
「操作系が!」
エヴァの目の光が赤色に変わった。
「カヲル君のために、みんなのために槍を手に入れる。そうすれば世界は戻る! そうすればミサトさんだって!」
13号機は槍に貫かれて停止していた〝Mark.06〟の目の前に到達した。
「ヤバい、コネメガネ! 妨害物は片付いてる! AA弾の使用を許可!」
「待ってました! 虎の子よん」
そう言って、マリはすぐさま特殊な弾丸を発射した。放たれた二発のAA弾は、両弾とも13号機の胸部に命中。しかし、着弾したAA弾は、そのまま13号機の体内に取り込まれてしまった。
「A・T・フィールドがない! まさか、この機体……」
13号機は、変形を開始したかと思うと、胸部から脇腹に掛けて腕に変わり、四手のエヴァへと変貌した。シンジは、四本の手を伸ばして二本の槍に掴み掛かった。
「だめだシンジ君……!」
カヲルは蒼白した顔面でシンジを見た。
「やめろ! バカガキ!」とアスカが叫んだ。
「うううううううううううううううううあああああああああああああああ!!」
シンジはリリスの体に突き刺さった大きな槍を引き抜くと、それを頭上にかざして交差させた。シンジは目的をやり遂げたことで、達成感のある表情を見せた。13号機の頭上に掲げられた槍は、細長い形から二重螺旋の二股に変形した。槍を引き抜かれたリリスが、水風船のように膨張していった。そして、そのまま限界に達すると、破裂して赤い液体を辺り一面にぶちまけた。
同時に、レイの顔に良く似たリリスの頭部も、またたく間に膨張して破裂した。その巨大な物体が撒き散らした血の雨を浴びて、ゲンドウが口を開いた。
「始めよう。冬月」
「エヴァ・マークシックス? パターン青って……どういうことだよ」
リリスが残した赤い血の池の上に、一体のエヴァが浮かんでいた。シンジは、想定外の事態に困惑の表情浮かべる。アスカは、それを認めると、即座に殲滅を試みる。
「まずい! 第12の使徒がまだ生き残ってる! コネメガネ! 3番コンテナ!」
「あいよー!」
改2号機が急加速して〝Mark.06〟に駆け寄って行く。
「サードインパクトの続きが始まる前に、こいつを片づける!」
その直後、アスカが到着する前にレイの機体が〝Mark.06〟の首を切り落とした。
「これが命令」
切り落とされた〝Mark.06〟頭部の切り口から、不気味な渦が沸き上がる。その渦は、蜂の大群が一つのうねりとなって空に川を作るようにして、空へと舞い上がった。
「使徒!?」
シンジはそれを見て驚く。
「でやあああああああああ!」
アスカはうねりに向かってガドリングを乱射した。しかし、それは霧に向かって石を投げることに等しく、効果は全くないように思われた。
「姫、無駄玉はやめときなよ。あれ全部コアだから。あたしらじゃ、手の打ちようがにゃいよ」とマリが釘を指す。
「それに、最後の使徒を倒したところで、鬼が出るか蛇が出るか、気になるジャン」
大きなうねりは、巨大な赤い塊となった。レイの目の前で変化を続けたそれは、徐々にレイの顔のような造型になっていった。
「これは……これは、私? 私は……なに?」
「操縦が効かない! どうなっちゃったんだ!? カヲル君!」
シンジは操縦桿を必死に引くが、13号機は全く反応を示さなかった。
「カヲル君!」とシンジは叫んだ。
カヲルは、頭を抱えたまま動こうとしなかった。
「まさか第一使徒の僕が13番目の使徒に落とされるとは」
「なに言ってるの? カヲル君!」
その間に、13号機の肩が異様な形状へと変化を始める。
「始まりと終わりは同じというわけか……さすがリリンの王。シンジ君の父上だ」
カヲルは独り言のようにつぶやいた。彼の言っていることは、シンジにはまだ分からなかった。
「DSSチョーカーのパターン青!? 無いはずの13番目? ゲンドウ君の狙いはこれか!」
モニターに写った〝Blood Type:BLUE〟の表示を見て、マリは何かに気がついた。