日本海洋生態系保存研究機構。
「凄い! 凄すぎる! 失われた海洋生物の永久保存と、赤く染まった海を元に戻すという、まさに神のごとき大実験計画を担う禁断の聖地! その形相の一部だけでも見学できるとは! まさに持つべきものは友達ってカンジ!」
ケンスケは海に浮かぶ巨大な施設を目の当たりにして、まるで羽が生えたように飛び回っていた。
「ホンマ感謝すんでぇ」
トウジはシンジの肩に腕を回して、満足げな顔をしている。
「お礼だったら加持さんに言ってよ」
アスカは不満そうな態度で腕を組んでいた。レイ以外は私服姿だが、レイは制服姿で参加していた。そしてなぜかペンペンも同行していた。すでに施設の中に入っていた加持が窓の向こうで手を振って合図を送る。管理区域のゲートの前に到着した一同に向かって、モニター越しの加持が事前に断りを入れる。
「もっとも、こっからがちょいと面倒だけどな」
「ん?」
――長波放射線照射式滅菌処理室。
一同は下着姿にされ、レントゲンのようなフラッシュを浴びる。次に、熱蒸気による滅菌室に入れられて、熱い思いをさせられる。
――有機物電離分解型浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-01。
続いて一同は、巨大な水槽に張られた液体の中に放り込まれる。次に、低温による滅菌処理で寒い思いをさせられる。
――有機物電離分解型再浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-02。
再度水槽の中。さらに、巨大な送風機が壁を埋め尽くす部屋で強風に晒される。
――有機物電離分解型再々浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-03。
再々度水槽の中。
――♪
まるで電子レンジで料理が出来上がったかのような音が鳴る。
全滅菌処理工程完了。
人間 – 5名。
鳥 – 1羽。
入室 可(第3段階滅菌区域まで)。
入念な滅菌処理で、シンジたち一同は施設に入館する前から体力を奪われ、ぐったりとする。しかし、そんな気持ちを一気に吹き飛ばしてくれる美しい光景が、目の前に広がっていた。色とりどりの魚の群れ、イルカが踊り、クジラがゆっくりと泳ぐ巨大な水槽。
「うほー! でっかい水槽やなぁ!」
トウジとペンペンははしゃいで走り回り、ケンスケは早速ビデオを回す。
「凄い!」
シンジも目の輝きを取り戻して水の世界を見つめる。
「これがセカンドインパクト前の生き物なんですか?」
その水槽には、クラゲや海ガメ、サンゴまでもが生きていた。
「クワーッ!」
ペンギンの群れを発見してペンペンが大喜びする。ペンペンが身振りを加えて姿勢を正すと、ペンギンたちから拍手喝采を浴びる。
「ほえー! 生きとる!」
「凄い! 凄すぎる!」
「おっ背中に何か背負ったやつもおるぞっ」
「カメって言うらしいよ」
トウジとケンスケはテンションを上げて施設を歩き回る。
「子供がはしゃいじゃって、バッカみたい」
アスカは、一人でその輪から外れて配管の上に座り込んだ。その時、アスカは円柱の水槽を眺めていたレイの傍にシンジが歩み寄っていく光景を目撃する。アスカは持ってきたゲームを取り出すと、不満そうに「ふんっ」と言って電源を点けた。
「綾波も来れて良かった……体もういいの?」
シンジはレイに気を使って声を掛ける。
「ええ。ノルマ終わったから、今日はいいの」
レイは天井まで伸びる円柱の水槽に手を当てて中を眺めていた。
「狭いな。もっと広いとこで泳げばいいのに」
「無理。この子たちは、この中でしか生きられないもの。私と同じ」
そう言って水槽の中を見続けるレイのことを、シンジは無言で見続けることしか出来なかった。
「いっただっきまーす!」
昼食のためにシートを広げて、一堂はシンジが用意した弁当を囲む。
「んんっ!」
おもむろにおかずをほおばったアスカは、思わず声を上げる。
「意外……ウマいわね」
「おお、見事な焼き方と味付けだなぁ」
加持もシンジの料理を誉める。
「あの9割人造肉が、調理次第でこうも美味しくなるとは、まさに驚愕だよ」
ケンスケもその味を絶賛する。
「シンジぃ、隠れた才能やなぁ」
シンジは間に受けないようにして、水筒の味噌汁を紙コップに注ぐ。
「ミサトさん、いつもレトルトばかりだから、僕が作るしかないんだ」
「シンジ君、台所に立つ男はモテるぞぉ」と加持が箸を振って言う。
「だってさ!」
ケンスケはトウジの方に話を振る。
「ん……いいやっ! ワシは立たんぞぉ! 男のすることやないっ!」
ベンチに腰掛けていたトウジは、おにぎりを急いでたいらげると、腕を組んでそっぽを向いた。
「前時代的、バッカみたい」
アスカが軽蔑するような目でトウジに突っかかる。
「なんやとぉっ! ポリシーは大事なもんなんやで」
「益々バカっぽい」
「んんなんやとぉぉっ!」
「いいから、食べてよ食べてよ」
シンジはトウジの前に弁当箱を差し出して、場を鎮めようとする。
「ごめん綾波……口に合わなかったかな?」
シンジがふとレイの方を見ると、小さな弁当箱を抱えたまま黙って座っていることに気づいた。
「いいえ……肉、食べないだけ」
レイは顔の角度を少しだけシンジの方に向けて言う。
「なぁんで悪くもないのに謝るのよ、日本人は!」
アスカはレイに見えないようにシンジに目配せを聞かせると、拳をぎゅっと握って立ち上がる。
「それにアンタねぇ! 生き物は生き物食べて生きてんのよ! せっかくの命はもれなく全部食べつくしなさいよ」
立ち上がったアスカはレイを見下ろして持論を展開する。しかしレイは何も言わずに少し困った表情を向けるだけだった。レイの薄い反応に耐えられなくなったアスカが声を上げる。
「エコヒイキ! ケンカ売る気?」
すると、トウジが席から立ち上がって、弁当の上をまたいでレイの方に向かう。
「へぇ〜ちょいちょいちょいっと、そなら、ワシが遠慮のう」
トウジはレイが持っていた弁当を手に取ると、自分ももらおうとして飛びついてくるペンペンから逃げる。
「なんや! やらへんぞ! 卑しいやっちゃなぁ、来んな! アホっ!」
ペンペンはトウジを追いかる。走って逃げるトウジを見てアスカはうんざりした態度で腕を組む。
「バッカみたい」
シンジは水筒を手に持ってレイの傍に腰を下ろすとカップを差し出す。
「じゃあ、味噌汁はどう? 温まるよ」
シンジが差し出したものを、レイは不思議そうに手に取った。そして味噌汁の入ったカップをゆっくりと口に運んで一口飲み込む。
「……おいしい」
レイはカップを両手で包み込むように持って、豆腐とわかめが浮かんだスープを眺めた。
※ ※ ※ ※ ※
その頃、ゲンドウたちの乗った宇宙船は、地球を背景に無重量空間を飛行していた。
「これが母なる大地とは……痛ましくて見ておれんよ」
冬月は、南極点付近にぽっかりと穴を開けた地球を眺めていた。
「だがしかし、この惨状を願った者たちもいる。人さえ立ち入ることのできぬ、原罪の汚れなき浄化された世界だからな」
ゲンドウは、冬月とは違って窓の外を見ずに天井を見つめていた。
「私は人で汚れた、混沌とした世界を望むよ」
冬月は地球をまじまじと見続けている。
「カオスは人の印象に過ぎない。世界は全て調和と秩序で成り立っている」
ゲンドウは瞬きもせずに一点を見つめている。冬月は、ゲンドウの言葉で顔を機内に戻してつぶやく。
「人の心が、世界を乱すか」
※ ※ ※ ※ ※
シンジは、加持と一緒に海の水を浄化する施設の開閉ゲートの上に来て、潮風に吹かれていた。
「僕が産まれる前は、この海が青かったなんて想像出来ません」
シンジは青くなった水が溜まっているプール側の手すりに捕まってダムを覗き込んでいた。
「こうして人が生きていける環境だけでも、よくも復元出来たものさ」
加持は後ろ向きになって手すりに肘をついてタバコをふかしていた。
「でも、この潮風って……なんだか生臭い変な匂いがしますね」
シンジは犬のように鼻をクンクンさせて風に乗ってくるにおいを嗅ぐ。
「海の生物が腐った匂いだ……生きていた証なのさ。あの何も無い赤い水とは違う。本当の海の姿なんだよ。本来、この世界は広くて、いろんな生命に満ち満ちている。その事を君らに知っておいて欲しかったんだ」
加持はそう言って水のある方に視線を向ける。
「なんか嬉しいです。ミサトさんも来れば良かったのに……」
「葛城は来ないよ……思い出すからな」
「なにをですか?」
加持は、ミサトのことを聞かれると、遠い目をして空を見上げる。
「……セカンドインパクト」
※ ※ ※ ※ ※
セカンドインパクト。それは、かつて15年前に起こった地球規模の大災害だった。地球面に巨大な穴が開き、そのとき4体の光の巨人が観測されている。光の巨人は、まるで天使のような羽と、頭上には光の輪を持っていた。そして4本の槍。幼い頃のミサトは、父親と共にその光景を目の当たりにしていた。父親は、ミサトを脱出用のシェルターに非難させると、十字架のペンダントを彼女に託す。その直後に父親は爆風に巻き込まれて帰らぬ人となってしまう。
※ ※ ※ ※ ※
「葛城が、なぜネルフに入ったか聞いたかい? 葛城の父親は、自分の研究……夢の中に生きる人だったそうだ。彼女はそんな父親を嫌ってた。憎んでさえいたと思う」
加持はシンジにミサトの過去を話して聞かせる。
「(苦手なのねお父さんが。私と同じね)」
シンジの中でミサトの言っていた言葉が蘇る。
「……僕と同じだ」
「だが、最後はその父親に助けられた。生き残るっていうのは、色んな意味を持つ。死んだ人の犠牲を受け止め、意思を受け継がなきゃいけない。それが一人だったら尚更だ。辛いのは、君だけじゃない」
加持は海の向こうを見つめながら、目には見えない大切なことをシンジに伝えようとする。
「…………」
シンジは表情を引き締めて、もう一度青い海を見る。
※ ※ ※ ※ ※
NERV本部・第1発令所。
「3分前にマウナケア観測所の補足。現在、軌道要素を入力中」
マコトがモニターに映し出された情報を確認する。
「目標を第3監視衛星が光学で捕らえました。最大望遠で出します」
シゲルが使徒の姿を主モニターに回す。
「光を歪めるほどのA・T・フィールドとは、恐れ入るわね。で、落下予測地点は? ……当然、ここよね」
ミサトは分かってるわよといった体で、苦笑いを浮かべる。
「MAGIの再計算。ネルフ本部への命中確率、〝99.9999%〟です」
マヤが目標の軌道予測を参照する。その頃、遥か上空ではすでに使徒への攻撃が始まっていた。
「N2航空爆雷もまるで効いてません」
マコトが言う通り、使徒は全ての爆発をA・T・フィールドで完全に防いでいた。
「軌道修正は不可能か……」
モニターを見つめるミサト。
「A・T・フィールドを一極集中して押し出してますから。これに、落下のエネルギーも加算されます」
マヤがミサトの方を見る。
「まさに使徒そのものが爆弾というわけね」
「第8使徒、直撃時の爆砕推定規模は、直径42万、ジオイド・マイナス、1万5千レベル」
マヤが読み上げると、ミサトの傍らに立ってるマコトが、被害規模を推測する。
「第3新東京市は蒸発、ジオフロントどころかセントラルドグマも丸裸にされます」
「碇司令は?」
「使徒の影響で大気上層の電波が不安定です。現在、連絡不能」
シゲルはノートパソコンのモニターを見て答える。
「ここで独自に判断するしかないわね……」
ミサトは意を決して姿勢を起こすと、周りにいたスタッフに通達する。
「日本国政府および各省に通達。ネルフ権限における特別非常事態宣言Dー17を発令。半径120キロ内の全市民は速やかに退避を開始」
するとシゲルが苦笑いしながら、冗談のように言う。
「問題ありません。すでに政府関係者から我先に非難を始めてますよ」
その言葉通り、第3新東京市上空には、イナゴのように大量発生した関係者の航空機が飛び立っていた。陸路は車の列で大渋滞が発生。海の上も艦隊が群れを成して離れていく。
『市内における民間人の非難は全て完了。部内警報Cによる非戦闘員およびD級勤務者の退避完了しました』
素早い対応によって、最悪の事態を想定した対策は完了した。
「MAGIのバックアップは松代に頼みました」とマヤが報告する。
「で、どうするつもり?」
リツコは冷静な口調でミサトの出方を伺った。
「いくらエヴァといったって、空が飛べるわけではないですし」
シゲルが、今回の使徒に対するエヴァの劣勢を指摘する。
「空間の歪みが酷く、あらゆるポイントからの狙撃も不可能です」
残った男性課員に続いて、マコトも消極的な意見を漏らす。
「こんなべら棒な相手じゃ、手の打ちようがありませんよ」
席を外して資料室の通路で立ち話をするミサトとリツコ。天井の高さまで立てられたラックが整然と並んでいる通路では、ロボットが世話しなく動き回っている。
「本気なの?」
リツコはミサトの作戦内容を聞いて驚く。
「ええ、そうよ」
「作戦と言えるの? このプランが。MAGIの検証でもしくじる可能性は99パーセント強。たとえ成功しても、エヴァ3体を損失。技術部として、到底受け入れられません」
「可能性ゼロではないわ」
ミサトはリツコに背を向けたまま、自分の主張を通そうとする。
「奇跡を待つより地道な努力よ! リリスと初号機の保護を最優先とすべきです」
リツコはミサトを論理的に説得しようとする。
「待つ気はないわ。奇跡を起こすのよ、人の意思で」
しかし、ミサトは降りようとはしなかった。
「葛城一佐!」
リツコはミサトを睨みつけて声を上げる。
「現責任者は私です。私が判断するわ。それに、使徒殲滅が私の仕事です」
ミサトはあくまで自分の主張を通そうとする。それは、作戦以前に自分自身に課した目的を達成するための執念にも見えた。
「仕事? 私怨でしょ? あなたの使徒への復讐は!」
作戦準備のため、格納されていたエヴァが列車型の貨物台に乗せられて運び出される。転車台が2号機を乗せて上昇したところで3体が揃った。
「えぇーっ! 手で受け止めるぅっ?」
ミサトの作戦を聞いたアスカが大声を上げる。
「そうよ。飛来する使徒を、エヴァのA・T・フィールド全開で直接受け止めるの。目標は位置情報を撹乱しているから、保障観測による正確な弾道計算は期待できないわ。状況に応じて多角的に対処するため、本作戦はエヴァ3機の同時展開とします」
「ムダよっ! 私一人で殲滅できるもん!」
ミサトの説明を蹴散らすようにしてアスカが身を乗り出す。
「ムリよ。エヴァ単機では広大な落下予測範囲全域をカバーできないわ」
ミサトはパイロットたちにモニターに映し出されたシミュレーションデータを見せる。
「この配置の根拠は?」
レイがそれを見て質問する。
「女の勘よ」とミサトはサラっと答える。
「なんったるアバウト」
アスカは腕を組んで呆れ顔になる。
「……あの……勝算は……」
シンジがミサトの顔色を伺うようにして聞く。
「神のみぞ知るってところね」
その博打の予想のような答えを聞いたアスカは、自分を主張するかのようにして声を強くして言う。
「フンッ! だから他のエヴァは邪魔なの! 人類を守るくらい、私一人で充分よ」
「このオペに必要なのはシングルコンバットの成績じゃないの」
ミサトは、どうにかチームワークを作り出す方向に持っていこうとするが、アスカが聞こうとしない。
「私の才能を認めないわけね」
「違うわ。あなたたち三人の力が必要なのよ。奇跡を起こす為に」
作戦決行前。エヴァ3体は、使徒を捕らえるために、それぞれの待機場所に構えていた。
シンジはコックピットの上で精神統一をするようにして目をつむっていた。その時、戦闘の前だと言うのになぜか心は落ち着いていた。
「(エヴァの中……なんでだろう、こんな時なのに妙に落ち着く……もう乗ってるのが当たり前なのかな? なんでだろう……懐かしい感じがする……。匂い? 母さん……? 綾波の匂い……)」
その時、発令所内に警報が鳴り響く。
『現在、目標の軌道を補足中。重力要素を入力』
オペレーターの通信が騒がしくなる。
「おいでなすったわね。エヴァ全機、スタート位置」
待ち構えていたミサトは、腕を組んで作戦の合図を送る。
ミサトの合図で、エヴァ3機はリレーの選手のようにスタートの姿勢を作る。
「二次的データが当てにならない以上、以降は現場各自の判断を優先します。エヴァとあなた達に全て賭けるわ」
ミサトは、エヴァパイロットたちに最後の思いを託す。
「目標接近! 距離およそ2万」
使徒が近づいてきたことを、シゲルが伝える。
「では、作戦開始……発進」
ミサトはいつにも増して緊張感のある声で慎重に号令を掛ける。それと共に、エヴァの外部電源装置が切られて、活動限界までのカウントダウンが開始される。
地を蹴って走り始めるエヴァたち。巨大な足が地面を踏みしめるたびに地響きが起こる。初号機は、市街地を抜け、山を高く飛び越えると、水田の見える景色へと急降下していく。零号機と2号機は、ハードルを飛び越えるようにして高圧線を跨ぎながら前へ進んでいく。
上空から飛来した使徒は、身にまとっていた黒い空間を剥がして、真の姿を表に出す。すると、形が変化したことによって影響が発生したことをシゲルが報告する。
「目標のA・T・フィールド変質! 軌道が変わります!」
「くっ!」
ミサトが奥歯を噛み締める。
「落下予測地点、修正二〇五」
シゲルは報告を続ける。
「目標、さらに増殖」
マコトが使徒の変化を捕える。
「なによ! 計算より早いじゃない! ダメ! 私は間に合わない!」
アスカが上空から落下してくる使徒を見上げる。
「こっちでなんとかする。ミサトさん!」
シンジは前を見据えて走り続ける。
「緊急コース形成! 六〇五から六七五」
ミサトはマコトの席に食らい付いて指示を出す。
「はい!」
マコトが指示を実行すると、初号機が走っていた市街地に、巨大な装甲板の足場が何枚も立ち上がり始める。装甲板によって形成されたバンクを利用して、初号機はスピードを緩めずにカーブを駆け抜ける。
「次っ! 一〇七二から一〇七八! スタンバイ!」
次の指示で、タワー型のボックスがせり上がり、階段状に足場を形成する。初号機はそれを利用して一気に駆け上がると、思いきりジャンプをして距離を伸ばす。初号機は加速を続ける。遂に、超高速で街を走り抜ける初号機の後ろにソニックブームが巻き起こり、駐車していた車を吹き飛ばしてしまう。
使徒は急降下を続けて地表に近づくと、球体だった体を広げて蝶のような形に変化する。十枚の羽を広げた使徒は真ん中に目のような部位を残して、羽の輪郭には無数の触手のようなものを立ち上げた。
「目標変形、距離1万2千」
シゲルは、素早く使徒の変化を報告する。
シンジは使徒の真下に辿りつき、足を前に出して急ブレーキを掛けると、迫り来る使徒を見上げる。
「A・T・フィールド全開!」
初号機は天に向かって両手を広げると、全面に巨大なA・T・フィールドを広げた。遂に地表近くへ接近した使徒は、初号機のA・T・フィールド目掛けて突っ込んでくる。そして、A・T・フィールドの表面に到達した使徒は、コアがあると思われる中心から人の上半身のような部位を覗かせる。その人型の部位は、両手を伸ばすと、初号機の両手にがっちりと手を合わせる。次の瞬間、使徒の手が槍状に変化して初号機の手を突き破った。
「あぁぁぁぁぁぁーーーっっっ!」
シンジは、激痛を感じて大声で叫ぶ。
「……うっくっ」
痛みに耐え、なんとか気を取り直したシンジは、使徒を睨みつけて体制を整える。使徒は初号機の何倍もある体を、覆い被せるようにして迫る。
「七光りーっ!」
遅れて落下地点に到着したアスカが声を上げる。
「2号機、コアを」
レイがアスカの方を見る。
「分かってるわよっ! 私に命令しないで!」
2号機は両肩に装備されたラックからプログレッシブ・ナイフを取り出すと、二刀流で使徒に飛び掛る。
「どぉりゃあぁぁぁーーーっ!」
2号機は一刀目で使徒のA・T・フィールドを切り裂くと、二刀目でコアを突いた。
「だぁーっ! おりゃぁーっ! でぁーっ!」
だが、プログ・ナイフの先端が火花を散らす直前、球状のコアが同極の磁石を近づけたときのように、するりと動いた。
「外したっ!?」
コアは、巨大な眼球のような部位から突出した人型の周りを、高速で移動する構造になっていた。アスカは、天球に沿ってぐるぐると逃げ回るコアを目で追いかける。
「ちょこまかと往生際が悪いわね!」
活動限界のカウントが残り少ない。
「あと30秒……」
焦りを口に出すアスカ。
使徒の羽に生えた無数の触手部分は、二本の足と二本の腕を持つ人形のような形をしていた。その一体一体の腹の辺りに、目のような紋様が浮かび上がる。数え切れない程の触手は、水底で揺れる海草のようにゆらゆらと揺れる。初号機が使徒に押しつぶされそうになり、もはや一刻の猶予も許されない状況だった。
「アスカ……はやく……」
シンジが苦痛に耐えながら声を絞り出す。
「分かってるってば!」
アスカがコアの動きを目で追い続ける。その時、零号機の手がコアに掴みかかって動きを封じた。
「エコヒイキ!?」
アスカが驚きの声を上げる。
「くっ……」
零号機の手は、コアのエネルギーによってみるみるうちに高温になってゆく。
「早くっ……」
レイが激痛に苦しみながら言った。
「……アスカぁ……」
シンジは目をつむって痛みに耐える。
「わかってるっちゅーのぉぉぉーーー!」
アスカはプログ・ナイフを振りかざして、正面からコアに向かって刃を突き出した。右手のナイフに続いて、左手のナイフがハの字型の溝を刻むと、さらに体に反動をつけて追い討ちを掛ける。
「もういっちょぉぉぉーーー!」
アスカは2号機の膝をナイフの底めがけて突き出し、敵のコアに突き刺さったナイフを、より深い部分へと押し込んだ。次の瞬間、使徒のコアはガラスが砕けるような音を響かせて真っ二つに割れ、大量の赤い液体と共に跡形もなく飛散した。
コアを潰された使徒は、力なくぐったりと羽を下ろす。羽に生えた触手は硬直し、本体は黒く変色した。そして、エヴァの何倍もある巨体から血液が噴出し、渓谷を満たすほどの洪水を発生させた。血の濁流は山を下って街を襲い、第3新東京市のビルや民家を飲み込んでいく。その後に残ったのは、真っ赤に染まった街と、使徒の立ち上げた光の十字架だけだった。
「ありがとう……みんな」
発令所で使徒の殲滅を確認したミサトは、なんとか作戦が成功したことで、安堵の表情を浮かべる。
「電波システム回復。碇司令から通信が入っています」
ミサトが気を抜いている暇もなく、シゲルが報告する。
「お繋ぎして」
音声のみの通信ではあったが、ミサトは姿勢を正してモニターの前に立つ。
「申し訳ありません。私の独断でエヴァ3体を破損。パイロットにも負傷を負わせてしまいました。責任は全て私にあります」
ミサトの説明にまず答えたのは冬月だった。
「構わん。目標殲滅に対しこの程度の被害はむしろ幸運と言える」
続いてゲンドウが口を開く。
「あぁ、よくやってくれた葛城一佐。初号機のパイロットに繋いでくれ」
「……え?」
ミサトは意外な展開に返事を忘れる。そして、シンジの乗る初号機の元へ通信が回される。
『話は聞いた。よくやったな、シンジ』
エントリープラグの中でゲンドウの声を聞いたシンジは、今までになかったことを急に受けて戸惑う。
「……え? はい」
『では葛城一佐、後の処理は任せる』
『はい。エヴァ3機の回収急いで』
ミサトの指示をマヤが現場へ回す。
『搬入は、初号機を優先、救急ケージへ』
使徒殲滅の現場で瓦礫に埋もれて待機するアスカは、コックピットの中で膝を抱えてうずくまり、今回の戦いのことを考えていた。
「私一人じゃ……何もできなかった……」