シン・エヴァンゲリオン劇場版:||のストーリーとセリフ / EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME

シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:FINAL タイトル

「他はろくな身体形状変化がないくせに、髪だけは伸びる。うっとおしい」

 アスカは狐色の長い髪をマリのハサミに委ねて、携帯ゲームを続けていた。ベニヤ板を組み合わせた広い平面、隔離施設の屋上である。小気味よい散髪の音がドーム状の空間に響いていた。マリは何もない場所でプラグスーツ姿の背中に語りかける。

「頭髪には、神も汚れも煩悩も宿っている。まさにカオスな人の心の象徴よん。姫が紛れもなく人間である証じゃないの」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 黒き月が、大規模な七色のブラックホールのような渦へと接近していた。そこはかつて、海洋生物のほとんどを死滅させるほどの大災害を引き起こした、曰く付きの場所だった。

 聖杯のような形状の黒き月の底にあたる部分が、その渦に接触した。すると、氷結した海面を打ち砕いた時のように一瞬で白い膜が広がり、それまで可視化されていなかった結界がガラス片のように舞い散った。

 氷海を航行する砕氷艦のように、黒き月が結界を押し分けて進む。その先には、黒い十字の塔と光の輪が四つ立ち、五本目は横倒しになっていた。

「セカンドインパクト。その呪われた爆心地か。アダムスの器は全て揃った。第13号機の再起動も、もはや時間の問題だ」

 冬月が言った。逆ピラミッド型のNERVネフル本部中枢には、ゲンドウと冬月の二名の姿しかなかった。

「ああ、では始めよう。冬月。あとを頼む」

 ゲンドウは顔の前で手を組むのをやめ、静観を解いて立ち上がった。暗いドーム状の空間が外部モニターモードに切り替わり、二人いる空間は赤い光に満たされた。

「ここまでは、全てゼーレのシナリオどおりか」

 冬月は腰の後ろに手を回し、来たるべき時を待ち構えているような顔をしていた。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 葛城ミサトは、艦長室で一葉の写真を眺めていた。

 自分の言動が相手の人生に与えたこと、そしてその結末。圧倒的な現実が、彼女をここまで駆り立ててきた。その想いを、責任を、どのように結ぶのか。彼女は思案し続けていた。

 ――行きなさいシンジ君!

 ――誰かのためじゃない!

 ――あなた自身の願いのために!

 あの時の叫びは、誰に向けたものなのか。彼女自身の決着が近づいている予感があった。

 シンジと息子のリョウジが肩を組んでツーショットを決めている。その写真はケンスケが撮ったものだ。快活な少年がピースサインをこちらに向けている。父親と同じ名前の彼に寄り添われたシンジは、困惑したような、あるいは恥ずかしがっているような表情を浮かべている。だが――その時、内線の電話が鳴った。

『艦長、バッドニュースよ。ネルフ本部が最終目的地に到着。第13号機の再起動に向けて動き出したわ』

 受話器を取り上げたミサトの耳に、リツコの声が届いた。ミサトは椅子の背もたれに身を預けて、冷静な声で応じる。

「私たちに残された時間は、あと数刻というわけね」

『ええ。それとグッドニュースよ。停止信号プラグの組み立て完了。エヴァ両機も最低限、形になったわ』

 リツコが言うと、ミサトは表情を変えずに事態の前進を決定する。

「了解。全艦、発進準備」

 

 赤城リツコは、多数のオペレーターが詰めるモニタールームで、携帯端末に耳を傾けていた。

『現作業を二十五分後に中断。三十分後に出航します』

「いつもながら、無茶言うわね」

 ミサトの独断に愚痴を言いながら、リツコはコンソールに備え付けのマイクに近づいた。

「全艦、第二種戦闘配置にて発進準備。二十五分後に出航」

 内線に吹き込んだリツコは、その場にいる作業員に向き直った。

「各自作業は二十分で終わらせて」

 

『繰り返す。全艦、第一種戦闘配置にて発進準備』

『無人艦隊、発射位置に最終調整中』

『N1ロケット推進剤、注入完了。内部電源に切り替え。最終ステータスチェックに問題なし。艦外作業員は退去急げ』

 衛星軌道に停留しているWILLEヴィレ艦隊の周辺で活動する作業員たちが、任務を着々と進行しながら無線を交わす。ヴンダーは、巨大なアンテナやブースターの加速装置を増設された艦隊を搭載し、最終決戦に向けた兵装を整えつつあった。

 

 旗艦中枢を担うオペレーターも、出航の装いで最後の仕度に入っていた。

 日向マコトは眼鏡を拭き、青葉シゲルは髭を剃る。そして、古株の二人は無言で各々の腕に青色のバンダナを巻いて、拳を突き合わせるのだった。

「枚数多いですね、高雄機関長」

 黒色のパイロットスーツに身を包んだオペレーターは、それぞれの右腕に青い布を巻いていた。多摩ヒデキが言ったのは、壮年の男の腕に巻かれた何本もの布の上に、長良スミレが更に結び目を足していたからだ。

「ああ、ネルフから決起したときに死んだ仲間の分だ」

 高雄コウジはつわものの面構えで腕を差し出している。スミレは最後の一つを結び終えて言った。

「反乱時に味方の識別に使ったのが、このバンダナだったんですよね」

「ああ、赤くなった海と大地を、この色に取り戻す。その願いを色に込めた誓いの印だ」

 高雄は上腕が隠れるほどのバンダナを擦り、目を細めた。ヒデキはその言葉を聞きながら、自分の腕に視線を注いだ。

 

 艦長室では、ミサトの腕にリツコがバンダナを巻いていた。

「ありがとう」

 ミサトが言った。静かに。

「このバンダナが、リョウちゃんの形見となったわね」

 リツコの言葉に、ミサトが追想を重ねる。

 エヴァに首を狩られたアダムが、頭蓋の降りしきる大地に構えるようにそびえている。絶望的な終末の光景。赤い渦と瓦礫の嵐に囲まれたミサトは、加持から血に染まった青い布を手渡される。

 ――葛城、たっしゃでな。

「あの時、本当は私も加持と残りたかった」

 ミサトは力なく言った。リツコは重い運命を背負った女の心境を察して、言う。

「でしょうね。ミサトのお腹に子供がいなかったら、許したかもね」

 

「戦闘配置なので、私は医療ブロックに移動します。碇さんはそこを動かんといてくださいね。何かの時は赤いボタンで呼んでください。じゃ、いってきます」

 オペレーター用の控室で、鈴原サクラは内線の受話器を通じて言った。その同室、担架を組み合わせたかのような簡易ベッドの向こう側に、椅子に座って待機する北上ミドリの姿もあった。

 彼女の目は、備え付けのテーブルに置かれたガンポーチに固定されていた。そしてそれを手に取ると、そのまま無言で部屋を出ていった。

 

 別の部屋では、エヴァパイロットのマリとアスカが、新調された衣装と対面していた。

「深々度ダイブ用耐圧試作プラグスーツ。いかにも出来たてホヤホヤだにゃ」

 桃色のプラグスーツを脱いで全裸となったマリは、吊るしの状態でそれを持ち上げた。銀色のラインと控えめな装飾が、純白の生地に施されている。

「ここは無垢の下ろし立てでしょ。死に装束だもの」

 アスカが皮肉を言った。彼女も真紅のプラグスーツを脱いで裸になっていた。

 二人が、その衣装を身に纏って圧縮装置を起動させると、銀色のラインが七色に発光して体に密着した。

 

『新2号機、JAリアクターを起動。出力安定、エネルギー循環開始』

『改8号機、ドラゴンキャリアと接続、異常なし』

『分離テストは無用。ぶっつけ本番で行くわよ!』

『臨時ケイジの最終ロックボルトを解除。エヴァ両機は現在、射出位置にて固定中』

 アスカ、マリ、両名の機体は、操縦者の乗り込みに向けて整備が進められていた。そのアナウンスを聞きながら、二人は無重力状態の横穴を滑るように進んでいた。

 機密扉を何枚か通過した所で、アスカが突然逆行を始めた。

「コネメガネ、ちょっと寄り道しておきたい」

 アスカが真面目な表情でそう伝えると、マリは通路の途中で振り返って、その意図を察したように了承した。

「ラジャー」

 

『新2および改8のエントリープラグ、挿入位置へ調整中――』

 シンジは着々と事態が進行する艦内で独りだった。

 ベッドの上でうつむき加減に座っていると、何者かが後ろからのしかかってきて視界を塞いだ。

「だーれだ」

「あの……分かんないよ」

 シンジはされるがままに、とりあえず答えた。後ろから飛びついてきた人物は、耳元で囁くように言う。

「ヒント。屋上、メガネ、乳の大きい、いい女」

「あの、パラシュートの?」

 シンジが自信なさげに言うと、女は、ぱっと手を離して弾んだ声を発する。

「ご名答! 自己紹介まだだったね。私はマリ。真希波・マリ・イラストリアス。改めて、よろしくね。ヴィレのワンコ君」

 マリは、背中に胸を押し付けるようにしなだれかかり、無遠慮に首筋の匂いをかいだ。

「ふーん。ちと変わったね。大人の香りってやつ?」

「そう簡単に変わらないわよ。このガキが」

 マリが体のラインそのままの姿で積極的に行動しているあいだ、アスカは扉によりかかって腕を組んでいた。四角い三畳ほどの狭い空間は、マリとアスカがいた隔離部屋と同じ造りだ。赤い床の上に置かれた唯一の家具、軍用のパイプベッドの上で、身を固める少年とあけすけな女のやり取りを、アスカは冷めた態度で見下ろしている。

「最後だから聞いておく。私があんたを殴ろうとした訳、分かった?」

 アスカは既成事実を確認するような口調で聞いた。

「アスカが、3号機に乗っていた時、僕が何も決めなかったから。助けることも、殺すことも。自分で責任、負いたくなかったから」

 シンジは俯いたまま告白する。それは本心のこもった誠実な声に聞こえた。

「ちっとは成長したってわけね」

 アスカは極めて冷静な態度で、その言葉を受け取った。

「最後だから言っておく。いつか食べたあんたの弁当、おいしかった。あのころはシンジのこと好きだったんだと思う。でも、私が先に大人になっちゃった。じゃ」

 アスカはそう言うと、自動ドアを開けて出ていった。それはある種の告白だったが、形骸化した事実を伝えるための作業だった。

 マリはしなやかな体をベッドから起こした。シンジは膝を見つめたまま動かない。

「よっ。君はよくやってる。偉いよ。碇シンジ君」

 そして扉の方に向かい、振り向きざまに言った。

再見ツァイチェン

「姫、ちっとはすっきりした?」

 マリは隔離施設から離れてゆくアスカを追って、背中に声をかける。

「そうね。すっきりした」

 アスカは平坦な声で返した。

 

『エヴァパイロット両名、エントリープラグに搭乗開始』

 シンジは部屋に留まり、静かにアナウンスを耳にしていた。無意識に首元を手で触る。そこに過去の記憶があるかのように。すると渚カヲルが、すぐ側にいるような気がした。

「シンジ君は安らぎと自分の場所を見つければいい」

 彼の温和な口調がシンジには聞こえる。かつてあったネルフの部屋で、ベッドに二人腰掛けて。二人の間にはSDATが置かれている。音楽が二人をつなぐきっかけだった。

「縁が君を導くだろう。また会えるよ」

 シンジは誰もいない空間で、確かにそれを聞いた。

「うん。そうだね、カヲル君」

 艦内の照明が落ちて赤い非常灯に切り替わった。発進の準備が整ったのだ。シンジはその状況にも、当事者として居合わせることができない。

 

「補機、出力安定。主機、臨界点を突破。水力上昇一千一六〇万トン」

 高雄コウジが動力系の状態を伝える。オレンジ色の光を放つモニターが、様々なパラメーターを映し出していた。

「ジャイロコンパス作動中。操舵および重力制御、問題なし」

 長良スミレは、最前列の操舵系制御ポジションに着いて、いつでも発進できる状態に入っていた。

「エヴァ両機、射出位置に固定完了。エントリーを開始」

 伊吹マヤが別室から内線を通じて連絡。主ブリッジでは多摩ヒデキが武器系統の報告を入れる。

「各砲への動力伝達、エネルギー流入、異常なし」

「無人艦隊、全艦発射位置に固定終了」

 北上ミドリが電子パネルに集中しながら言った。その流れを受けて青葉シゲルが艦内通話に伝達。

「直ちに、艦外の全作業を中断、非戦闘員は待機」

 そして日向マコトが、主ブリッジの最上部を仰ぎ見た。

「第一種戦闘配置への移行、完了しました」

「艦長、全艦発進準備完了。いつでもネルフ本部に殴り込めるわよ」

 赤木リツコは、腕を組んで不動の静観を決め込んでいるミサトを見た。これ以降、後戻りできない状況に突入するのだ。リツコの言葉尻には、その意志を確かめるような響きがあった。

「了解。艦長より通達。これより本艦は、フォースインパクトの不可逆的な阻止のため、旧南極爆心地跡に在留中のネルフ本部を強襲。儀式のトリガーとなる、エヴァ第13号機の無力化を目的とした〝ヤマト作戦〟を決行。これまでの全てのカオスに、けりをつけます」

 反NERVネルフ組織WILLEヴィレのリーダーおよび、旗艦AAAスリーエーヴンダーの艦長を務める葛城ミサト大佐は、躊躇なくそこまで一気にまくしたてると、高らかに宣言した。

「全艦、発進!」

 

 強烈な咆哮を発してヴンダーの船体が動き出した。全長数千メートルにも及ぶ船体の規模は、周囲の作業艦とは比較にならない。

 ヴンダー。それは科学技術が生み出した鋼鉄の翼竜である。竜骨に支えられた主機に螺旋状の助材を備え、両翼を幅広く展開した空中戦艦が、エヴァ初号機から得られる動力源で、宇宙を蹴った。

 ヴンダーの船体が赤い地球を背景にゆっくりと回転する。それまで上方に向けていた船首を下方に傾け、徐々に突入体勢へと移行していった。

 ブリッジのモニターが暗闇から外部の光景に切り替わった。その瞬間、視界を覆う全天周囲モニターは気象衛星写真に見られる雲と海になった。そして当然、地球の色はワインレッドに近かった。

「エントリー終了、指揮系統を戦闘艦橋へ移行完了」

 リツコが言った。ブリッジは空間に浮かぶ座席と、それをつなぐアームだけが可視化された状態だ。

「種子保管ユニット、射出ポイントに入ります」

 ミドリが最初の作業工程を予告。ミサトは、あの紫の光に満たされた白い縦穴で使命を待つコンテナ群に希望を託す。

「了解。ヴンダーとのリンクをカット。内部電源および管理システムを、独立状態に切り替え。全ての種子保管ユニットを射出」

 命令と実行、そのプロセスが機械へと伝わり、ミサトの言葉を現実に変える。

 コンテナを収容していた倉庫群は、一つ一つが独立したカプセル状のユニットだった。ヴンダーの船外に射出された無数のユニットが、外装を二つに割って切り離した。すると、そこから露出した先端部がアームを開いて、たんぽぽの冠毛のような形状になった。

「全ブロック、L5に投入完了。自律調整に問題なし」

 ユニットの末端が切り離されると、種子保管ユニットは文字通り生命の種を運ぶ綿毛として、宇宙を漂流する物となった。ブリッジの全員がそれをモニターする。グリッドを投影した宇宙空間に、その群れが安定する像を確認し、シゲルが言った。

「目標地点への降下を開始。大気圏突入」

 そう言ってミサトは、正面に向き直った。操舵を担当するスミレが、それを継ぐ。

「了解。大気圏突入開始」

 ヴンダーの船体前方に突出した双頭が摩擦熱で明るくなった。船体はほぼ垂直となり、赤い大地と向き合う角度となった。進行方向にA・T・フィールド、後方に光の輪を伴って、ヴンダーは超高速で大地に接近する。そのやり方は従来の自然落下に任せたものではない。急激に拡大するフラクタル映像の等高線を見れば、その加速の凄まじさが分かるほどだった。

 大気圏突入のプロセスは一瞬にして終了した。作戦は次の段階に入る。

「モニター、回復します」

 仮想映像に変換されていた視界が、実写に戻った。真っ白な地平に黒色の十字が突き立っていた。十字は全部で五本、そのうちの一つは横倒しに傾いており、それぞれに七色の光の輪をたたえていた。

「旧南極爆心地エリアに進入。L結界境界面に入ります」

 それはNERVネルフ――つまりゲンドウと冬月の見た光景だった。スミレは臆することなく、その非現実的な白い面に対してアプローチをかける。

 ヴンダーの主翼の下に備わっている降着装置が、重いモーター音を立てて展開した。高度がみるみるうちに下がり、純白の平面に近接していった。その降着装置は、氷結した海上に着水するためのフロートの役割りを担っていた。鋭い溝の入った底面が、薄氷を蹴散らすように結界に接触すると、六角形の結晶体をばらまいて赤い裂け目を露出させた。

「L結界境界面を航行中。問題ありません」

 スミレは安定して進む船体を確認し、言った。

「ここが原罪で汚れた生命を阻むというL結界の上」

 ミドリは周囲に舞い散るガラス片のような結晶を眺め回した。

「人類がその浄化されたエリアを祝福も受けずに進んでいる。加持のデータとアンチLシステムのおかげだ」

 高雄が満足そうな声で現状を評価する。

「L結界潜航可能ポイントまで、あと二〇フタマル

 スミレがブリッジに行き渡る声で報告。

「了解。全艦潜航準備」

 ミサトがそれを受けて号令を発した。直後、何者かの攻撃がヴンダーに直撃し、強烈な爆発を引き起こした。

 衝撃に揺れるブリッジ。モニターが明滅し、硬い物が砕ける音が響いた。

「右舷第2船体に被弾! 損害不明」

 ヒデキがコンソールにしがみついて鋭い声を発した。

「三時方向に艦影発見!」

 ミドリがアラートを鳴らすモニターに食い入るように顔を近づける。

 ヴンダーの進行方向右手に異変が生じたのは、その直後だった。純白の平面を下から突き破って出てきたのは、不穏な黒の塗装を施したヴンダーに似た船体だった。

「オップファータイプ搭載型2番艦エアーレーズング。やはり完成していたのね」

 リツコは、予め用意していた悪い方の予感を口に出した。

 敵艦に搭乗しているのは冬月ただ一人。ブリッジの中央で後ろ手を組み、威厳のある顔で直立している。

「すまんな。今少し碇のわがままにつきあってもらおう」

 彼は仮想ゲームでも興じるかのように、悠然と構えていた。

 敵艦の巨躯の上方に光の輪が広がる。その模様を捉えた映像がヴンダーのモニターに流れた。

「第13号機、再起動までの時間稼ぎか」

 マコトは眼鏡の下で眉間に皺を寄せて、押し殺すように言った。

「同じ神殺しの力、やっかいね」

 リツコは敵のデータを素早く流し読み、警戒の色を強めた。しかしミサトの揺るぎない態度が、ブリッジの重い空気を払拭させた。

「タイマン上等! 右舷砲撃戦用意。ネルフ艦を牽制しつつ、潜航ポイントへ急ぐ」

 腹の底から発した艦長の声に応じて、ヴンダーの主砲四機が一斉に動き出した。

 ミサトは間髪入れずに、号令。

「撃てぇい!」

 鮮烈なエネルギー弾が主砲四門から一斉に放たれた。矢継ぎ早の連射が敵艦双頭の左舷を捉え、装甲を削るような音を立てた。

 敵艦は球状の砲門を七機、備えていた。まるで眼球のように動く射出口が、ヴンダーに照準を合わせてカバーを開いた。

 強烈なビームがヴンダーに襲いかかった。それは最初に奇襲を受けた時と同等の凄まじい破壊力を持つ光の矢だった。だが、今回は予想の範疇に収まる応戦だった。被弾する直前、ヴンダーはA・T・フィールドをデコイとして展開。直撃を免れた。

 それでもなお、敵の攻撃力はヴンダーの軌道を圧迫した。重心を崩して結界に半身を突っ込みながら進むヴンダーの背面に向かって、敵は全砲門から集中砲火。爆風に押されて腹を見せた船体に、更に追い打ちをかける。

 目の前で巨大な花火を打ち上げられたかのような戦火に押されて、ブリッジの統率が乱れた。全天周囲モニターは、赤い爆炎に満ち満ちて、その都度、強大な振動がそこにいる者たちを揺さぶった。

「あちこちに被弾! あっちの火力が圧倒的ですぅ」

 ミドリは果敢にコンソールに向き合うも、顔を顰めて劣勢を認めた。

「くそう! どこが同型艦だよ」

 ヒデキは理不尽に抗う若手らしく、モニターの先を睨みつけた。

「未完と完成の違いだな。だが主機はこっちの方が、上だ!」

 高雄がコントロールレバーを握りしめて、動力系統の出力を上げた。ヴンダーの竜骨に支えられた螺旋状の船尾に光の輪が広がった。

「L結界潜航可能ポイントに到達!」

 急激な加速を得て、ヴンダーと敵艦との距離がぐんぐん離れる。牽制の速射砲を撃っているあいだに、スミレが進捗を更新。即座にミサトが指示を飛ばす。

「急速潜航!」

「了解!」

 スミレは切れ長の目を引き締めて、船首の角度を変えた。

 それまで純白の平面を舐めるように進んでいたヴンダーが、勢いをつけて結晶体に突っ込んだ。結晶体の下は赤い靄の渦巻く濁った空間だった。まるでデトリタスの浮遊する海洋のような光景だ。ヴンダーは血の海を思わせる不気味な世界へ、今まさに踏み込んだ。

「L結界、第一層を抜けます」

 深度を急激に下げたヴンダーが、何かの大量の群れに突入した。コウモリのようにおびただしい数で宙を舞うそれらが、視界のほとんどを遮った。船体をかすめる細かい粒子のような物体は、一つ一つが人の形をしていた。そして、血中に流れるヘモグロビンのように、全てが赤い。

「第二層に突入。L結界密度プラス三〇サンマル

 スミレは視界の冴えないその空間を、速度を落とさずに進行する。

「艦首十二時方向、エヴァ・インフィニティの大群です!」

 ミドリがより密度の高い部分を指して言った。

「かまうな、このまま突っ切る!」

 ミサトは立ち向かうことを要求。艦はそのまま直進。

「艦首十二時方向に艦影出現!」

 ミドリが重ねて言った。今度の口調は、予想を超える出来事に直面した時のものだ。

「待ち伏せか!」

 日向マコトが身を乗り出した。ヴンダーの進行方向に出現したのは、奇妙な突起物を頂くヴンダーの亜種だった。

「3番艦エルヴズュンデ! まんまと挟撃されたわね」

 リツコが言った。先ほど撒いた2番艦エアーレーズングが、後方に追いすがってきている。それと同様に、球型の砲門を備えた3番艦が、有無を言わさず攻撃を仕掛けてきた。

 強力なビームが着弾する直前に、ヴンダーはA・T・フィールドを展開して攻撃を防ぐ。だが、その方法も完璧ではない。前後から次から次へと連撃を食らって、艦が揺れる。

「やばいです! これ以上やられると、航行に支障が」

 ヒデキが、問題を指摘した。

艤装ぎそうが手薄な3番艦から排除する。舵そのまま、最大戦速!」

 ミサトは覚悟を決めて風穴を開ける道を選んだ。進むも地獄、退くも地獄。直線上に敵を臨むモニターは、アラートと爆炎の嵐だ。

「了解!」

 スミレが艦長の追い風を受けて足元のペダルを踏み込んだ。鋼鉄の翼竜が呼応するように咆哮を上げて、その船尾にソニックブームのような光の輪を発しながら、ぐんと加速。射程距離などお構いなしに、3番艦の鼻先めがけて強襲をかける。

「3番艦、回避行動!」

 敵が船首を持ち上げ、ヴンダーの軌道から離れようとした。無様にもチキンレースから降りようとした相手に対して、ミサトは容赦などしなかった。

「逃がすな! このままぶつける」

 ヴンダーの前方に突き出した双頭が、下からえぐるように3番艦と衝突。鉄と鉄との激しいぶつかり合いによって火花と衝撃が走る。まるでアトラクションのように急上昇する船体にブリッジが連動する。

「こんなのやだぁ!」

 ミドリは女学生のような声を上げて無謀な戦術を否定した。

「艦を回せ! ロール角百八十度。敵艦と体勢を入れ替える」

 船体と船体が競り合って鉛直上で拮抗した。間髪入れずにミサトが操舵手に指示を出した。

「りょぉーかいっ!」

 スミレが力むような声とともに、船体を制御。一度は時計回りに振りかぶった翼を、反時計回りに繰り出して敵艦を殴り飛ばした。

 およそ戦艦同士の戦いとは思えない白兵戦。ヴンダーの翼の先端が白銀しろがねの刃を広げて敵に切りかかったのだから、ミサトには想定済みの攻撃だったのかもしれない。だが、それを食らった3番艦は、ひとたまりもなく腹を見せて後方に吹き飛んだ。それはつまり、2番艦の方へ巨大な遮蔽物を送り込む意味があった。

「3番艦を盾に使うか。フッ、相変わらず無茶をする」

 冬月は、かつてミサトが見せた破天荒な指揮を想起する。そして彼の睨むモニターには、裏返しになった翼竜のシルエットが映し出されていた。

 

「インフィニティの群れを抜けました! L結界、第三層に突入」

 ミドリの報告。人型の浮遊物がまだ残っているが、ある程度の視界は担保できる状態になった。空間を取り巻く渦状の流れの中心に、聖杯のような形をした巨大な岩石があった。無数のクレーターと傘歯車のような鋭い凹凸が不気味だ。その古代遺跡じみた外観の下に、逆さピラミッドの物体が浮かんでいた。

「目標ネルフ本部を確認。既に黒き月の下方にシフトしています」

 シゲルが言った。十二本の突起の先端が赤いビームを放ち、何かの準備を行っているように見える。

「第13号機の再起動が近いな」

 そう言ったのは高雄だった。マコトが後ろを振り返り、艦長に告げる。

「2番艦および3番艦、艦尾より接近中」

「時間がない。黒き月を盾にしつつ、このままネルフ本部突入コースに、誘導弾発射準備。目標、第13号機再調整区画」

 ミサトは取れる手段を駆使して、作戦の継続を維持する。

「艦尾六時方向、ネルフ戦艦群が接近中」

 ミドリが言った。直後、遠方に十字の閃光がきらめいた。光の矢が到達。瞬時に爆炎が吹き上がった。

「艦を傾斜。被弾面積を最小限に抑える」

 ミサトはブリッジのアームを掴みながら操舵の指示を出す。スミレが応答。

「りょーかい! 左舷重力バラストブロー、ダウン二〇フタマル

 その間にも、敵の攻撃は雨粒のように降り注ぎ、船体の余力を少しずつ削っていった。

「主翼上の艦艇群の保護を最優先。A・T・フィールドを集中して」

 リツコが攻撃の余波を察して、指示を飛ばした。それまで船体全域をカバーするように展開していた仮想防壁が、主翼底面に固定されている特殊武器に集まる。

 敵艦の猛攻が、ついに船体の装甲を直撃。今までにない衝撃が、ブリッジにそのダメージを伝えた。

「うっ、艦尾主砲が大破! 袋にされてます」

 ミドリが背中を突き飛ばされたかのように、コンソールに突っ伏した。

「うろたえるな! 発射ポイントまで耐えればいい」

 ミサトは毅然とした態度を崩さない。しかし次の衝撃で、いよいよ呻いた。

「誘導弾発射最適地点到達まで、あと一〇ヒトマル

 スミレは嵐に揉まれる船体をどうにか維持していた。敵の弾幕が赤黒い空間を照らし、派手に炸裂する。エネルギーの熱源が、衝撃波と光環を同時に放つ。

 黒き月の突出した底部の先に目標の天井が見えた。欠損した部分が、ちょうどその位置まで自転し、重なったからだ。

「軌道に乗りました!」

 瞬間、スミレが吠えた。モニターに映し出されたターゲットに、何本もの赤いラインが伸びていく。

「誘導弾、全弾発射!」

 ミサトが言った。続いてマコトが復唱。親指を立ててボタンを押下。

「誘導弾、全弾発射!」

 物理スイッチが赤く灯ると同時に、主翼底面に固定されていた全十二隻の艦隊が、一斉に離脱した。慣性に乗って空中に繰り出した船体の後部には、ロケット推進用のノズルスカートが装着されていた。艦隊が、ある程度の位置に展開したところで一挙に火を吹く。茜色の尾を引いて、すさまじい加速を手に入れた艦隊が、横一列に並んで目標に迫る。

 艦隊は特攻兵器だった。巨大なピラミッド状の構造物に真っ直ぐ向かい、その底面に穿たれた正方形の穴に飛び込むまで、一切の減速を見せない。

 甚大な爆発が引き起こされた。戦艦の数十倍の質量を誇る岩肌が、より巨大な爆煙に包まれた。粉砕された瓦礫が飛び散る。その攻撃が有効であったかどうか分かるまでに、数秒。

「最終目標、第13号機を光学で確認!」

 シゲルが速報を捉えた。それに先んじて、リツコは手元の双眼スコープで確認していた。

「予想どおり再起動前だわ。13号機はまだ動けない」

 吉報に浸っている暇はなかった。敵の空中要塞――NERVネルフ本部の隙間から、おびただしい数の何かが飛び出しているのが見えた。

「接近中のエヴァ7シリーズを確認。数は超いっぱい! 計測不能です」

 ミドリが言うのも無理はなかった。巨大な構造物と比較すると羽虫のように見えるそれらは、一つ一つが人型の自律兵器だった。白亜と墨色の陶器のような装甲を纏い、髑髏ドクロの仮面の上に光の輪を頂いている。

 空間に放たれた敵意の群れが、クジラに襲いかかる小魚のようにヴンダーに迫る。

「雑魚にかまうな! エヴァ両機の射出を急げ」

 ミサトは人型に対して同型で挑むことを宣言。リツコが迅速な反応で内線を持ち上げた。

「マヤ、エヴァ両機、射出準備」

「了解。エヴァ両機、射出準備」

 別室で待機していたマヤが大声を上げた。その復唱により、他の作業員にも意図が伝わる。

 一呼吸置いて、リツコが作戦の要を解放する号令を出した。

「射出!」

 重厚なアームロックが解除され、巨艦から二隻の空母が切り離される音が響いた。

 船底に特殊装甲を施した空母二隻が、ビーム状の光を引いて自由落下を開始した。右手にアスカ、左手にマキを乗せたエヴァ両機が、スカイサーフィンを思わせる状態で敵の深部に切り込みをかける。

「頼むわ。マリ、アスカ」

 ミサトは、今までにない心情の籠もった声を出して、二人を見送った。

 

 下から吹き上げる嵐のような勢いで、エヴァ7シリーズの群体が上昇してきた。それらは意思を持たない傀儡として、体当たりをするしか能がないように見えた。装甲の張られた空母の船底に、衝突してはひしゃげ、折れ曲がり、コントロールを失い消えていく。

 だが、圧倒的な数という暴力が空母に衝撃を与え、装甲を壊し、爆炎を上げるまでに至った。

「ひゃっほーい」

 マリは使い物にならなくなった乗り物を捨てて、炎が吹き上がる宙へ飛び出した。両腕を広げて赤い空間を舞う改8号機は、両腕に暫定的な補強を施した〝γガンマ〟というバージョンになっていた。その背中には長大な〝ドラゴンキャリア〟という格納庫が装備されている。アスカを支援するために。

 アスカの操る新2号機は、火力に特化した〝αアルファ〟というバージョンだった。オリーブグリーンの装甲に覆われた機体には、十二連式のミサイルバックパックが多数備わっている。両機の装備は、あのパリ市街地で展開したカチコミによって実現したものだ。

 アスカは空中にリリースされたガドリング砲を掴み取ると、背中の兵器を惜しみなく最大火力で発射した。

「どけー!」

 背中から青い光の尾を引いて射出されたミサイル群が、敵の軌道にばら撒かれた。鉛直に急降下するエヴァ新2号機の視界が、爆発の青白い円を捉える。それが螺旋を描くように次々と増加し、敵の沈黙の印がそれに混じって星屑のように散った。

 視界は、降下速度と敵の上昇速度との相対によって高速に流れる。アスカは左脇に抱えていたガドリング砲をそこに向けて、周囲を薙ぎ払うように連射した。

「えーい!」

 自身を中心に銃弾を無尽蔵に発射する新2号機の周囲に、光の十字が発生する。いくら撃っても敵の数がそれを上回るため、破壊の手応えは止まらない。

「はいはいー、ごめんなさいよー!」

 マリはドラゴンキャリアを振り回して軌道を確保する。まるでハエたたきのように敵を弾き飛ばしながら、アスカの殿しんがりを務める。

「チッ!」

 アスカは全弾撃ち尽くして停止したガドリング砲を睨んだ。そうと分かると、バットのように銃身を振り上げて、直接的な方法で敵に殴り掛かる。

 一体、二体、三体――鈍い音を立てて敵の装甲を粉砕したアスカは、最後の一撃でガドリング砲を投棄し、上方を振り仰いだ。

「コネメガネ! 次の得物」

「あいよっ」

 マリは威勢よくそれに応じ、ドラゴンキャリアからリリースされた武器を手に持つ。盾形の装甲の裏面に貼り付けるように格納されていたのは、三日月刀シミターのように湾曲した刃を持つ折りたたみ式の剣だ。

 マリは新2号機めがけてその武器を投げた。アスカはその剣を受け取ると、刃を展開して即座に切りかかった。

「とりゃーっ!」

 コックピットの中で、全天周囲モニターに囲まれたアスカが、身を乗り出して叫んだ。

 剣の刃先が髑髏ドクロの仮面の顎を打ち砕く。正面から会心の一撃を食らった個体はひとたまりもなかった。身をのけぞらせて新2号機の軌道に巻き込まれたそれは、次から次に来る個体を巻き込んで重なった。

「ええいっ」アスカは剣を引き抜いて四体を同時に串刺しにした。「次!」

 再度、上方を振り仰いで指示を飛ばす。真紅のラインの引かれた純白のプラグスーツが凛々しい。

 その時、アスカの機体に衝撃が走った。咄嗟に呻く。新2号機は一体のエヴァ7シリーズに脚を取られたため、空中で制御を失いそうになっていた。そこに二体目が襲いかかる。首に体当たりを喰らい、きりもみ状態で吹き飛ぶ。

 それを好機と捉えたか、敵が次々と新2号機に飛びかかる。腕を絡みつかせて密着する奇妙な個体を、アスカは引き剥がそうと必死になる。敵が頭蓋の顎を鳴らして噛み付こうとする奇怪な光景を、アスカは視界モニターの大画面で直視していた。

「姫!」

 顔をしかめたアスカの元へマリの援護が入った。長い柄で支えられた円盤状の刃で敵の頭蓋を焼き切ると、それを放り投げて新2号機へ渡した。

「おりゃー!」

 アスカは荒い鋸歯を両端に供えた武器を受け取ると、気合を入れ直した。回転する刃を敵の胸元にめり込ませて、火花を散らす骸を豪快に投げ捨てる。

 薙刀のように振り回していた長物を、中心でひねって二刀に分割。その回転鋸で敵を切りつけ、降下を続ける。

「にゃろめ!」

 マリが刃に絡まった個体を銃撃で排除した。スムーズな連携で新2号機の背中に飛び乗った改8号機が、再び離れる。

 アスカは両手の武器を駆使して進路を開拓していった。軌道を遮る個体を粉砕し、それ以外は無視する。その時、前方の敵が密度を上げて渦を巻き始めた。

「ふん! エヴァもどきがまとめて通せんぼとは、邪魔くさい!」

 アスカが見たのは、フラクタル形態に集合した敵の流動であり、ロマネスコ状に発達した雲だった。灰色のトルネードとなった敵の群体が、ドリルのように円錐螺旋状の軌道を描き、上方に向かって鋭い先端を突き上げてきた。

 アスカは挑みかかるような表情をたたえて、両手の武器を手放した。新2号機の大腿部に仕込まれていた大型の弾頭が、それに変わる兵器だ。

「えい!」

 両脚に七門ずつ装備されたミサイルハッチが、同時に開いて大火力の弾頭を射出した。青白い閃光が尾を引いて、鈍色の火山灰のような渦に溶け込んだ。そして、それこそが噴火のような規模で大爆発を引き起こした。

 敵の集合体は原型を留めることが不可能なほど、爆散してしかるべきだった。しかし、紅蓮の炎を突き破って出てきたのは、後から集結した個体によって形成された、全く同じ形状の流動体だった。

 アスカは掘削機のように回転する先端が、爆煙を蹴散らしたのを見て舌を打つ。

「チッ! コネメガネ、手を貸せ」

 上昇するトルネードを上に通すわけにはいかない。強硬手段で突破する。

「心得た!」

 アスカの意図を汲み取ったマリが、改8を新2の横に並べた。互いに片腕を振りかぶって掌底を繰り出した二体が、A・T・フィールドを展開。それが共鳴し、位相空間が変形すると、硬い結晶板を何枚も並べ立てて回転する粉砕機と化した。

 二人はそのままの体勢で突っ込んだ。敵の集合体の突出した先端部分に対して、A・T・フィールドのミキサーをぶつける。高速で回転する結晶板が、禍々しい渦を削り出していく。後方に向かって流れ出るのは、沈黙したエヴァ7シリーズの残骸だ。

 数万単位の十字の光がアスカとマリの通り道に散り咲く。息継ぎもなく一気に大量の敵を迎撃した二体が、そのままの勢いで、逆ピラミッドの天井に迫った。

 アスカは着陸機構を装備していない改8号機を抱えて、新2脚部のスラスターを噴射。急降下した機体の勢いを殺しきれないまま、瓦礫の山に落下した。

「エヴァ両機、ネルフ本部に降着!」

 ヴンダーのブリッジでそれを確認したシゲルが報告を入れた。ミサトは、無駄口を叩かずに二人の行動を見守っていた。

 ヴンダーの攻撃で崩れた施設の傾斜をエヴァ両機が滑走する。アスカはそこに穿たれた穴を確認して振り返った。

「目標地点はあの爆撃孔の下ね」

 その瞬間、何かが新2号機の顔にのしかかってきた。

 アスカは急な奇襲に合って呻き声を漏らした。視界が塞がれたため、よろめき、転倒し、何度か受け身を取って体勢を立て直す。

 新2号機を攻撃したのは、丸いコアに直接腕を生やした奇妙な個体だった。しかも複数体いるようだ。エヴァ13号機のカラーリングだが、すばしっこく飛び回る猿のような行動で、脅威は別物だった。初号機の肩に見られるウエポンラックを上下に備えており、プログレッシブナイフを手に持つ個体もある。

「こいつら、マジうざすぎ!」

 アスカは何体もの小さな敵に翻弄されて要領を得ない。飛びかかってきたものから順に反撃を加えるが、ボールのように跳ねるそれらには手応えを感じない。

 プログレッシブナイフで切りかかってきた個体に両手を塞がれた。刃を手で受けたため火花が散る。そこにマリの援護攻撃が入った。

「姫! お先にどうぞ」

 鞭のような武器を手にした改8号機が、敵の一体を破壊した。長いリーチで牽制し、新2から敵を引き離す。

「悪い、コネメガネ!」

 アスカは身を翻して走り出した。そこに数体の敵が、追いすがるように飛びつく。アスカは背中の降下装備をミサイルポッドもろとも切り離パージした。ロケットを噴射させて暴走したバックパックは、そのまま置き土産として派手に爆発した。

 アスカはその追い風を受けて、そのまま爆撃孔へ飛び込んだ。

 

 NERVネルフ本部の施設内に侵入した新2号機は、飛び降りた先でLCLの溜池に着水した。水柱を上げて波打つ水面だったが、深さはそれほどでもなかった。

 アスカは新2の腰部に装着していた長物を右手に持ち替えると、膝をついていたエヴァの姿勢を立て直した。

「エヴァ第13号機――間に合った」

 魔術めいた紋様の描かれた十字の台座の上に、滅紫めっしの機体が拘束されている。その胸部には二本の槍が突き立っていた。アスカは獲物を狩猟範囲に捉えた獣のように、ゆっくりと水を蹴って距離を詰める。

「神の機体を謳ったところで、所詮は人の造り出した第十三番目の汎用ヒト型決戦兵器。強制停止信号プラグをコアに打ち込めば、破壊は出来ずとも、動くことはなくなる」

 アスカは自分に任務の正当性を言い聞かせるようにつぶやきながら、斜めに傾いた台座の上に登る。十字にはりつけにされた13号機の足元から、這い寄る使者としてその胸部に迫った。そして――。

「これで、おしまぁぁぁいぃぃぃっ!」

 長物の柄を握りしめて両手で高く振りかぶった新2号機は、その強制停止信号プラグに仕込まれていた関節部分を押し上げて十字に変化させた。それで一気に決着に持ち込めるはずだった。アスカは、全体重を鋭い先端に乗せて、13号機のコアへ振り下ろした。

 鐘を打ち鳴らしたかのような甲高い音が鳴り渡った。空中で透明の壁に阻まれたかのように、長物の先端が七色の光を放って獲物の直前で停止した。

「A・T・フィールド?」

 アスカは予定していなかった現象に目を見張った。エヴァ新2号機の突き立てた強制停止信号プラグの先端と13号機のコアとの間に、稲妻のような閃光が走り絶対不可侵領域が完成している。

「第13号機はA・T・フィールドを持たないはずなのに、なんで?」

 アスカは眼前に展開された青白い境界をもう一度見た。

「これって、このエヴァ自身のA・T・フィールド。新2が13号機に怯えているっていうの?」

 その事実を察して、アスカが困惑の表情を浮かべた時、天井ではマリが機敏に動き回る敵との戦闘に手を焼いていた。

 縄状の武器を鞭のように振り回して、小型の敵を各個撃破していくものの、次から次へと湧き出るために、一向に数が減らない。

 やがて一瞬の隙を見せた改8号機の腕に、二本腕の球状の敵がまとわりつき、聞いただけでそれと分かるカウントダウンめいた電子音を発した。

 次の瞬間、自爆。マリはエントリープラグを通じて神経に伝わる痛みに悶え、初めて懸念の表情を見せた。

「何かおかしい。ゲンドウ君は何をたくらむ?」

 

 ヴンダーは凪いだ空間で同型の巨大空中戦艦と睨み合っていた。

 敵が攻撃をしないどころか、高度を下げ始めたため、ミドリが指摘した。

「はっ、変です。ネルフ戦艦が戦線を離脱、降下していきます」

 その動きを追って下方を見ると、禍々しい同心円状の赤い渦だったものが、中心の直径を広げていき、視界が晴れて純粋な地表が現れた。そして中心に穿たれた深い縦穴と、ヴンダーのような巨大な翼竜を模した地上絵が見えた。

「呪われたセカンドインパクトの爆心地カルヴァリーベースか。地獄の門が再び開いている。まさか――」

 ミサトは地上に開いた深淵を見下ろしていた。円形の縁に紫色の光がたなびく光景を見定めて、彼女は息を飲んだ。

 敵の2番艦、3番艦の船体に変化が生じた。船体の上部に突出したやじりのような部分が、青白い水晶体の内部から熱を発するように、赤い光を灯し始めた。

「光の翼?」

 ミサトが言った。敵二艦の上部には三本のやじりが突出している。それが赤く燃えるような光を放って、上方に噴水のように噴き上げたのだ。

「セカンドインパクトと同じ方術でフォースを起こすつもりなの?」

 ミサトの懸念に、リツコが答える。

「いいえ。ガフの守り人として建造された船をトリガーには出来ないはず。それに黒き月を取り巻く事象が計画とは違う。これはゼーレのシナリオには無い、私たちの知らない儀式よ」

 その間に、NERVネルフ本部の逆ピラミッドの直上に浮遊する黒き月が、中心で焼き切られて真っ二つに裂けた。そして、これまで岩肌に見えていた硬い物質が、赤い流体に変化すると、形状を変えて細長く引き伸ばされ、新たな〝槍〟を生み出した。

「全くの予想外、アナザーインパクトというわけか。状況はどうあれ、ネルフの計画は全て叩き潰す!」

 ミサトは意志を固めて、即行動に打って出る。

「主砲発射準備! 3番艦から先に沈める」

 その宣言を受けて、マコトが攻撃部門に指示を飛ばす。

「使用可能な全ての砲門を3番艦に向けろ!」

「超電磁直撃弾装填! 方位盤、連動不要。各砲準備でき次第、発砲を開始!」

 船体が角度を変えて、主砲が大出力の攻撃に備えて運動を始めた。ミサトは最短でケリをつけるべく、矢継ぎ早に指示を飛ばす。

「しかし建造計画では、4番艦まであったはず」

 リツコが傾く船内で言った。ミサトは聞かない。

「撃てえ!」

 轟音が響いた。だがその瞬間、ヴンダーの主砲が不自然な動きで揺らぎ、台座を浮かせて分解してしまう事態となった。主翼の根本を下から突き上げるようにせり出してきた遺物が、甚大な被害を加えたのだ。

「状況は?」

 衝撃に揺れるブリッジの上で、ミサトが報告を仰いだ。

「直撃です! 何かに両舷の第2船体を貫通されました!」

 ヒデキが上を向いて叫んだ。

「艦首損傷! 主砲塔システムダウン!」

 マコトが艦長の方へ振り返り、致命的な結果を伝えた。

 その瞬間、今まで不可視だった結界が破られ、その後ろから鋭利な双頭を突き出して進む新たな敵艦が現れた。双頭はヴンダーの下腹を突き破り、貫通して主砲四門を葬り去ることに成功した。

「4番艦ゲベート! 罠に嵌ったわね、私たち」

 リツコは出鼻をくじかれた鬱憤を漏らすように、低い声で言った。

 

「仕上げのインパクトには、どのみちこいつが必要になる。だから確実に今、始末しておくしかない。得物が目の前にいて、ままならないなんて」

 アスカは新2号機の眼前に張られたA・T・フィールドに苦戦を強いられていた。自ら展開したものだけに、対処が難しい。彼女は一か八かの勝負に出るしかなかった。

「最後の手段ね。ごめん、新2。また無理をさせるわ」

 アスカは一度目をつむって俯いてから、覚悟を決めた表情で前に向き直った。

「全リミッターを解除。裏コード999スリーナイン

 コックピットのシステムが命令を読み取った。それまで外観を映し出していたモニターがダウンし、赤い十字のグリッドに変わった。アスカは暗転した空間の中で、左目の眼帯に手をかけた。歯を食いしばり、それまで隠していた牙を剥くように、一気に外して瞳を暴露させた。

 アスカの虹彩は青白く発光していた。そこに斜め十字の亀裂が入ると、埋没していた黒い円柱――相補性L結界浄化無効阻止装置が眼球からせり出した。

 痛みに悶えて背中を弓なりに反らせたアスカは、自らの眼球から突き出した黒い円柱に掴みかかり、無理やりそれを引き抜いた。首元のDSSチョーカーが反応を示す。それがヴンダーのブリッジに伝わり、シゲルが警告を読み上げた。

「パターン青! ネルフ本部内に第9使徒の反応あり!」

 マリは改8号機の左腕を失いつつも、果敢な戦闘を繰り広げていた。その彼女が、地下の異変を察する。

「姫! 使徒の力を使う気?」

 アスカは暴走しようとする熱源を、ぎりぎりのところで食い止めるかのように、前のめりで歯を食いしばり目を見開いていた。彼女の頭髪の先端は鮮やかに輝き、プラグスーツの真紅のラインも虹色に発光している。

「くっ――エンジェルブラッド、全量注入!」

 アスカは使命を全うすべく、その命令を出した。エヴァ2号機の神経が生きているのは右半身だけだった。そこに特殊な薬剤が注入され、コアに行き届く。

 新2号機は、アスカの呻き声に連動するかのように体を痙攣させると、次にうずくまり増設された装甲から脱皮するかのごとく、上半身をひねり始めた。

 左の義腕が外れた。ケーブルを引きちぎって欠損した部分が露わになる。そこに力を込めると、光の腕が顕現して、新たな左腕を得た。

 アスカは、なおも藻掻いて上半身を装甲から引き剥がしにかかった。だが、なかなか外れない。新2号機の顎が、拘束を破って内部の歯を露出させた。アスカの叫びと咆哮が連動する。同時に、複数の球体状の目が発光し、新2号機はコアのエネルギーを解放して装甲を粉砕した。

「うわー!」

 新2号機は、巨大なエネルギーを放出して新たな身体を獲得する。羽の生えた幻獣のように強靭な肉体が巨大化していく。アスカが更に叫ぶと、新2の身体は天井を突き破って外部にそびえる巨人となった。

「姫……人を捨てる気?」

 マリは光り輝く異形となった新2を見上げた。光の輪をいただき、稲妻を纏う姿は、巨神とでも言うべき荘厳さを放っていた。

 新2号機の持つ強制停止信号プラグは、エネルギーで強化された巨大な十字となっていた。黄金に輝くそれを両手で掴み、13号機に突き立てよとする新2の背中から、新たな二本の腕が生えた。

「新2のA・T・フィールドを、私のA・T・フィールドで中和する!」

 アスカは巨大な障壁を自らの意志で破るべく、両腕で光の十字を構え、新しい両手で硬く閉ざされた門をこじ開けるように、波紋の中心に指先をかけ、左右に引き裂いた。

「んーっ! うわぁぁぁっ!」

 アスカは獣のような雄叫びを上げて、光の十字を振りかぶった。強烈なプラズマを発生させるエネルギーの刃が、新2号機の頭上に持ち上がった。聖剣を大地に突き立てるかのごとく、それが振り下ろされた。新2号機の体に伴う運動量の全てが光の切っ先に向かった。その直後、今まで沈黙を保っていた13号機が動き出し、首をもたげて強力な閃光を放った。

 新2号機の四つ腕と首が蒸発。光の十字が失われ、強制停止信号プラグが大爆発を引き起こした。アスカは激痛に絶叫し、四肢を硬直させた。すなわち、彼女の攻撃は失敗に終わった。

 新2号機は生体の秩序を保てずに、内部から破裂して、原型を縮小させていった。背中を突き破って流れ出たエネルギーが、2号機の生命力を奪うかのように。

 アスカの叫び声が断続する最中、13号機のコアに突き刺さっていた絶望の槍――ロンギヌスが自然に引き抜かれて、宙に舞った。

 遂に、13号機が覚醒した。両腕を腕輪の拘束から引き抜くと、新2の喉元を掴んでアスカを戦慄させた。

「シングルエントリーじゃなかったの?」

 アスカは燃えるような痛みに耐えながら、13号機を睨む。滅紫めっしの機体に、鮮やかな緑と黄色の光源が灯っている。そして、両腕を持ち上げて新2を掴んでいる脇の下から、もう一対の腕を解放した。

 13号機は上段の腕で相手の首を固定したまま、下段の右腕を急所に向かって繰り出し、その手刀を新2の心臓部に突き刺した。

「しまった! ゲンドウ君の狙いは使徒化した姫か」

 マリが敵の陰謀を察したが、もう遅かった。次々に湧き出る小型の量産機が改8号機の腕に絡みつき、自爆した。

 

 アスカは絶望の縁に立たされた。彼女を取り巻く空間は、深淵の入り口に変わっていた。希望を失ったエントリープラグの中で、アスカは首を巡らせて警戒を強めた。不穏な笑い声が聞こえるが、まだ意識はある。理性も。

 アスカが前に目をやると、裸の女が立っていた。

「式波タイプ、私のオリジナルか」

 アスカの姿をした女が、コックピットの先端に降り立ち、身を屈めて顔を寄せてきた。髪をなびかせ、とろけそうな表情をたたえる女は、低い誘惑するような声で言った。

「最後のエヴァは神と同じ姿。あなたは愛とともに私を受け入れるだけ。さあ、こちらへ」

 アスカは拒絶を態度で示し、相手の頬を平手で打とうとした。だが、なんの抵抗もなくすり抜けてしまった。幻覚か、虚像か。それでも実際に語りかけてくる。

「おあいにくね」

 アスカはプラグスーツの首元を引き破って、DSSチョーカーを晒した。いざとなれば覚悟は出来ている、と見せしめる狙いだった。

 式波タイプは微笑を浮かべていた。アスカは虚勢を見透かされたかのように、一瞬身を引いた。すると式波タイプは、手を差し伸べて耳元に顔を寄せると、囁くように言った。

「無駄よ、おバカさん」

 アスカは、はっと息を飲んだ。その時、深淵の先に北極星のようなものが輝き、コックピットがエントリープラグの深部へ向かって流れ始めた。

 式波タイプの背中に光の羽のようなものが生えて、アスカの顔を掴んだまま後方に引き下がる。アスカは為す術もないまま、前方に引きずり出された。まるで妖精のように温かい色を帯びた式波タイプが、一瞬にして冷たい色に変わり、アスカともども虚無の中に溶けた。

 抜け殻になったプラグスーツが残され、DSSチョーカーが監視対象を失って爆発した。外の世界では、13号機が新2の体内からエントリープラグを引き抜いた瞬間だった。エヴァの体は主を失い、膨張したものを破裂させて、液体に帰した。

「アスカ!」

 マリが感情をあらわにして叫んだ。

「新2号機、全ての信号をロスト、パイロットの状況不明!」

 ヴンダーのブリッジでシゲルが切迫した声を上げた。ミサトは沈黙を貫いていた。すると、外部で大規模な爆発が起きた。

「補機N2機関、大破!」

 ヒデキが損害を伝えた。マコトは次々に起こる惨事に後手を取り、苛立ちを募らせていた。

「くそ! 今度は何だ!」

 モニターの下方から迫ってきた人型の敵が、艦を覗き込むような姿勢を取った。斜め十字の切れ込みの入った仮面の奥に、一つ目を光らせている。

「エヴァっぽい何かです。取りつかれました!」

 ミドリが上官を振り仰いで言った。ヴンダーに乗り込んできた機体は、何かを探し回るように艦上を徘徊し始めた。

「パターン青! エヴァ・オップファータイプね」

 リツコがデータを読み上げた。ミサトがその裏にある実情を読み取る。

「パイロットごとマーク9を新造したのか」

 すると件の敵が、ヴンダーの機関部に忍び寄り、両腕を変色させてドロドロの触手を作り上げた。

「やばいです! 艦内が物理的に侵食されていきます」

 ヒデキが叫んだ通り、青黒い臓器のような触手が、装甲の隙間を埋めるように増殖を始めた。

「排除、急いで!」

 リツコがマヤに連絡を入れた。マヤは警告灯で赤くなった艦内通路でその内線を受け取った。

「やっていますが、侵入速度が速すぎて対処が追いつきません!」

 マヤの目の前で通路が触手で埋まっていく。数名の作業員がその光景に足止めを喰らい、成す術もなく防護扉を閉めるしかなかった。

 艦内のあちこちにエラーが発生していた。けたたましいアラートが、音を上げたかのような長音に変わった。

「マーク9、VD防壁を突破!」

 シゲルの報告。モニターを乗っ取られたブリッジが禍々しいゼーレのシンボルに囲まれた。

「駄目です! コントロールが全部乗っ取られました!」

 ヒデキが言った直後、ブリッジが物理的な制御を失い、突然降下を始めた。制御中枢の外殻が排出に転じて、ブリッジがジェットコースターさながらの急降下で待機状態にシフト。衝撃に揺られたオペレーターは、何の対策も打てずに、その権限を敵に奪われた。

「こいつは、やられたな」

 高雄が呻くように言った。艦内の制御ロックが機能しなくなり、シンジの隔離室も気密が破られていた。

「さすがは冬月副司令。見事だわ」

 相手の手腕が一枚上手だという事実を、リツコも認めざるをえなかった。

 ヴンダーの船底を貫いていた4番艦ゲベートの双頭が、ゆっくりと移動してそのくさびを外した。既に敵の手に渡ったヴンダーは従順だ。その船体に備わっている巨大なアンテナが、彼らの意図を反映して輝き始めた。

 2番艦、3番艦のやじりが放出した光の噴水と同じく、ヴンダーと4番艦も上方に向かってエネルギーを放った。

 全てのパーツが、あるべき場所で意図した役目を果たした。その状況を作り出した冬月が、ブリッジから爆心地を見下ろす。

「人工的なリリスの再現。そして黒き月の槍への強制流用。舞台は整えた。あとの大詰めをどう演じる、碇」

 

 神殺しの翼竜の上に一人の人物が降り立った。黒い制服を身に着け、サングラスで双眸を覆っている。

「艦首甲板上に侵入者を確認」

 手元の端末で外部環境を確認したシゲルが驚愕の声を上げた。ミサトは直接行動に移った相手の姿を認め、驚きの表情を作った。

「碇司令」

 

 シンジは外界から隔たれた孤独の部屋で、赤い警告灯の下にいた。

 目を瞑り、何も出来ない自分を内省し、このまま行動しないという選択もあった。

 だが、彼は目を開き、腰を上げた。

 その手にはSDATが握られていた。

 

「ごめん、姫。まさに慚愧ざんきの極み。この場は一時後退しかなさそうね」

 マリは死力を尽くしてそこに立っていたが、上方に迫る巨大な槍を見上げて、観念した。黒き月を変形させて生み出した螺旋の鉄の棒が、NERVネルフ本部跡地に向かって降下を開始していた。

 逆ピラミッドの数十倍もの大きさを持つ巨大な槍が、ヴンダーの攻撃でも崩れなかったそれを、いともたやすく粉微塵に変えた。

 

 特務機関NERVネルフ総司令の碇ゲンドウは、ヴンダーの甲板の上に立ち、胡乱うろんな表情をたたえていた。彼の視界は一体型のレンズを持つサングラス状のスコープに覆われていた。その背中に怨情の響きを持つ声がかけられた。

「ご無沙汰です。碇司令」

 ゲンドウは体ごと振り返り、鋼鉄の装甲に佇む女性指揮官を見た。距離が遠かった。土台の溝が二人の立場を隔てている。

「これまでご苦労だった。葛城大佐。この船は予定どおり私たちが使わせてもらう」

 銃声が鳴った。ゲンドウは悠然と構えていたが、目元に火花を散らしてよろめいた。いつの間にか、ハンドガンを構えたリツコが、ミサトの後ろに立っていた。

「君か……。問答無用とは、相変わらず目的遂行に関し躊躇がないな」

 何事もなかったかのように立ち直るゲンドウだったが、左の眉間に射創が開いていた。サングラスが欠損しショートしている。そして奇妙なことに、出血はなかった。

「ええ、あなたに教わったことです」

 リツコは乾いた表情で冷たい声を発すると、容赦なく引き金を三度引いた。銃弾を受けてのけぞったゲンドウは、そのまま甲板上に倒れた。その顛末を見届けたリツコは、震える手を自覚する前に、さっと顔色を変えた。

 白い手袋をはめた手が周囲に散乱した脳漿のうしょうに伸びた。指で雑にすくい取ったそれが、頭蓋に開いた穴から中へ戻される。ゲンドウはゆらりと起き上がり、サングラスで隠されていた素顔を晒した。

「神に障壁はない。来るものを全て受け入れるだけだ」

 そこに人間の目はなかった。ひび割れた顔面に十字の眼窩が刻まれ、空虚な内部に光が灯っていた。

「碇ゲンドウ。ネブカドネザルの鍵を使い、望んで人を捨てたか」

 ミサトは、もはやかつての上官ではない何者かを、強く睨んだ。

「この世のことわりを超えた情報を、自分の体に書き加えただけだ。問題はない」

 ゲンドウは平坦な口調で淡々と語る。そこに、無残に引きちぎられた新2号機の首が、投擲物のように飛んできた。甲板の上に投げつけられたそれは、体液を撒き散らしてミサトたちの近くに落下した。上体をひねって避けたミサトとリツコが、ゲンドウの方にもう一度振り返る。

「私が神を殺し、神と人類を紡ぎ、使徒のにえをもって、人類の神化と補完を完遂させる」

 ゲンドウの後ろに、13号機が静かに降臨する。空中に光の輪を浮かべて、それに乗って移動する13号機の両手には、ロンギヌスの槍が握られていた。そして、その口には先ほど新2号機から抜き取ったエントリープラグが咥え込まれていた。

「そのためにアスカを使い捨てるか、碇ゲンドウ!」

 ミサトは身勝手な持論を展開する男に声を震わせた。

「綾波と式波型パイロットは、もとよりこのために用意されていたものだ。問題ない」

 ゲンドウがそう言うと、13号機が口を大きく開いて、エントリープラグを噛み砕いた。

 すると13号機の背後に、二重の光の輪が発生。強く輝くその光の輪を取り巻くように、さらに複雑な光の紋様が浮かんだ。

 黒き月から生成した巨大な槍が、セカンドインパクトの爆心地へと降下していく。地上絵の中心部に大口を開けた底しれぬ深淵に、静かに槍が収まった。その瞬間、七色の波紋が広がり、天文学的な数の粒子が一挙に吹き出してきた。

 積乱雲のように分厚く積み上がっていく粒子の渦は、赤い空間に対して紫の禍々しい色をしていた。それは一粒一粒が人の形であり、エヴァの外観を持っていた。

「これが人類。いえ、この星の古の生命のコモディティ化」

 後方に立ち昇る渦を見上げて、リツコが身構えた。

「全ての魂をコアに変え、エヴァ・インフィニティと同化させる、フォースインパクトの始まりか」

 紫の巨大な渦が、ミサトの頭上に到達し、速い速度で流れる。

 ゲンドウは、この不条理な光景を生み出した理由を述べる。

「そうだ。セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァ・インフィニティを形づくるコアとは、魂の物質化。人類という種の器を捨て、その集合知を汚れなき楽園へといざなう、最後の儀式だ。セカンドインパクトと引き換えに、自らの仮説を実証した君の父上、葛城博士の提唱した人類補完計画だよ」

「父の世迷い言は、必ず止めてみせます」

 ミサトはゲンドウを真っ直ぐ見据えて言った。ゲンドウは微動たりともせずに、無感情な声を重ねる。

「知恵の実を食した人類に、神が与えていた運命は二つ。生命の実を与えられた使徒に滅ぼされるか、使徒を殲滅し、その地位を奪い、知恵を失い、永遠に存在し続ける神の子と化すか。我々はどちらかを選ぶしかない。ネルフの人類補完計画は、後者を選んだゼーレのアダムスを利用した神への儚いレジスタンスだが、果たすだけの価値のあるものだ」

 するとリツコが一歩前に踏み出し、決然とした態度を見せた。

「私たちは、神に屈した補完計画による絶望のリセットではなく、希望のコンティニューを選びます」

「私は、神の力をも克服する人間の知恵と意志を信じます」

 ミサトは右腕に撒かれた青いバンダナに手を添えた。

 だが、ゲンドウとの距離は埋まらなかった。彼の声音は、他者に対する一切の共感が欠落しているかのように響く。

「真理の捉え方の違いだ。葛城大佐には世界が、赤城君には幸せの形が見えていない。人の想いでは何も変わらんよ。これで全てのホースマンは揃った」

 ゲンドウは一方的に言い切ると、突然目元から使徒の破壊光線じみた攻撃を放ち、ヴンダーの主機を粉砕した。赤い火の粉が舞い、爆炎に包まれた甲板の陰から、その動力源を担っていたエヴァ初号機の顔が覗いた。

「では、預けていたエヴァ初号機を返してもらう」

 ゲンドウは背を向けて13号機の方へ立ち去ろうとした。その時、ミサトでもリツコでもない、別の少年の声が届いた。

「父さん」

 碇シンジは、父親の背中を決意のこもった目で見据える。しかし、ゲンドウは一瞬足を止めただけで、すぐに歩き出した。彼は覚醒した13号機の元へ浮遊するように飛び立つと、大きく開かれた口の中へ入り込み、姿を消した。

 13号機は光を発散する白い機体となっていた。上体を屈めて初号機の胴体を持ち上げると、その光を収めて雄叫びとともにヴンダーから離れた。

 

 フォースインパクトの始まりとして解き放たれたエヴァ・インフィニティの群れは、地表を伝って地球表面を埋め尽くさんばかりの勢いで広がっていた。

 膨大な紫の粒子が飽和に向かって大地を這う光景は、街も山も見境いなく飲み込む高波に等しかった。その強大な現象が第3村にまで及ぶのも時間の問題だった。

 ケンスケは、その奇怪な現象が相補性L結界浄化無効阻止装置に阻まれる瞬間、カメラを向けて記録していた。黒い巨大な円柱が丘陵に起立する光景の麓に車を停めて、覚悟の表情でそこに立つ。

 トウジは近隣の住民と共に、集落の軒先から嵐の前兆を見上げていた。そこに寄り添うヒカリは、荒れる空模様に背を向けて娘を抱いて泣いていた。

「ニアサーも生き延びてきたワシらや。自分らの運と、ミサトさんのヴィレを信じるで」

 トウジは自分と、家族のために言った。この厄災で復興の全てが水泡に帰す可能性がある――その不安を拭い去るための言葉だった。

 

 ヴンダーとNERVネルフの巨大艦三隻が四つの支点に浮かび、上方に光を発している。ゲンドウの計画した儀式の完成形。その真っ只中にいるミサトとリツコは、制御権を失った艦船の上で、戦術的な手札を使い尽くしていた。

 リツコは甲板の上に座り込んで手元の端末に指を走らせた。そこにはデジタルの数値と冷たい現実が表示されていた。

「ガフの扉の向こうは、ヴンダーには手出しできないマイナス宇宙。残念ながらヴィレには補完計画を止める術はない。万事休すね」

 ミサトは副長の隣に佇み、その言葉を聞いていた。すぐそこには新2号機の頭部が転がっている。その先で、父親が立ち去った跡地を見据えていたシンジが、声を出した。

「ミサトさん。僕が、エヴァ初号機に乗ります」

 

 ヴンダーに侵食していたエヴァ・オップファータイプに改8号機が飛びかかった。グロテスクな触手を船体に這わせているオップファータイプを両脚で踏み倒す。

 獣のようなモードを発動したエヴァの中で、マリは狂乱の雄叫びを上げた。先の戦闘で両腕を失っていた改8号機だが、強靭な顎で床に倒れ込んだ敵に食らいつく。腕をもぎ取ってそれを捕食した改8は、右腕を再生させると、相手の頭蓋を掴んで首元にかぶりついた。

 それはもはや、戦闘ではなく野生の狩りだった。鮮血が吹き上がり敵が絶命しても、改8は捕食を止めない。

 

「綾波が消えた帰り道、加持さんに教えてもらった土の匂いがしたんだ。ミサトさんが背負ってるものを、半分引き受けるよ」

 シンジは、自分の足でこの場所に来た理由を、ミサトに語った。

 ミサトは、自分の前に立つ制服姿の少年と、正面に向き合った。

「そのためには、碇ゲンドウと戦うことになるわよ」

 ミサトの言葉を受けて、シンジは充分に考え込む。そこに偽りがあってはいけない。本心を示す必要があった。

「僕は、僕の落とし前をつけたい」

 シンジが言うと、ミサトは無言でDSSチョーカーを差し出した。シンジは無言でそれを受け入れ、自ら首にはめた。逃げ道を塞いだ彼の背中に突然、抗議の声がかかった。

「ちょっとやめてよ! 冗談じゃない、まさかエヴァに乗せるつもりじゃないですよね」

 そのやり取りを見ていた北上ミドリが、逆上して声を震わせる。

「こんなことになるんじゃないかと思ってた。艦長、この状況なら無条件発砲許可でしたよね」

 彼女は持参したガンポーチからハンドガンを取り出して、シンジに銃口を向けた。

「疫病神! あんたの起こしたニアサーのせいで、私たちの人生めちゃくちゃよ。全ての元凶、あんたら親子だけは絶対に許さない」

 ミドリは心に溜め込んでいた遺恨を吐き出し、鬼の形相を作った。

 発砲が、された。それはシンジの足元をかすめて、鉄板を弾いた。しかしミドリの銃弾ではなかった。

「はっ、サクラ!」

 ミドリは驚愕し、振り返った。鈴原サクラがそこにいて、リボルバーを涙目の前に掲げ直した。

「碇シンジはエヴァには乗りません。碇さんはエヴァに乗って、みんなを不幸にして、自分自身も不幸になったんや。だからもう、碇さんはエヴァには乗らんのです」

 サクラは気が触れたように悲壮な声を発した。震える手が今にも引き金を絞りそうだった。

「いえ、サクラさん。僕をエヴァに乗せてください」

 シンジは、恐れも動揺も見せずに彼女に向き合った。

 サクラは聞き入れない。これまでも、彼女は一度もそれを認めたことはなかった。

「無茶言わんといて碇さん。怪我したら、もう乗らんで済みます。痛いですけど、エヴァに乗るよりはマシですから、我慢してください!」

 サクラがぎゅっと両目を瞑った。そして彼女の銃が乾いた破裂音を立てた。

「うっ」

 シンジの前に身を被せたミサトが、腹のあたりを押さえた。その表情を覆っていたサングラスが甲板上に転がった。

「ミサト!」

 リツコが咄嗟に名を呼んだ。

 サクラは自分の行為に戦慄した。

「艦長!」

 騒動を聞いてオペレーターが集まってくる。日向マコトが叫んだ。

「ミサトさん!」

 シンジは自分を庇って銃弾を受けた女性の肩を抱いた。

「いいのよシンジ君。十四年前、あなたがエヴァ初号機に乗らなかったら、私たちはその時、既に滅んでいた。だから感謝しているの。その結果、ニアサーが起こされたとしても――。シンジ君のとった行動の責任は全て私にあります。現在も碇シンジは私、葛城ミサトの管理化にあり、これからの行動の責任を私が負うということです。私は今のシンジ君に全てを託してみたい」

 周囲に集まったオペレーターに、ミサトは裸の目を向けた。そして澄んだ表情の裏に痛みを隠して、情動を重んじる言葉を口にした。

 サクラは、その厳然たる事実にはっとするも、なお人間としてやり切れない心情を吐き出す。

「そうや! 碇さんは私らを救ってくれた恩人や。けどうちらのお父ちゃんもニアサーで消えてもうたんやぞ! 碇さんは恩人でかたきなんや! もうこうするしかないんや!」

 錯乱した彼女は涙に濡れて前が見えていない。その手元が大きく揺れ、銃口が空を泳いだ。

 危険な状況の中で、銃声が鳴った。誰もが絶句して、薬莢の転がる音が響いた。

 引き金を引いたのは、ミドリだった。彼女は肩を怒らせて、不条理を押し殺すように声を落とした。

「もういい! もういいよサクラ。もう明日生きてくことだけを考えよう」

「もう――何やの」

 サクラは膝を折ってへたり込むと、その場でリボルバーを手放して泣いた。

 

 ヴンダーのアンテナが閃光を放つのを止めた。それが何かの合図であるかのように、改8号機がミサトたちのいる甲板上によじ登ってきた。

「めんご!」

 光の輪を浮かべた巨人の登場に、全員が振り向いた。

「準備に手間取っちゃった。さあ行こう! ワンコ君」

 マリはそう言いながら、ミサトを支えるシンジの前に改8の手を差し伸べた。

「マヤ、艦長室に保管してあるプラグスーツを」

 リツコが事の展開を先に進めるべく、手元の端末で指示を出した。

 シンジは届けられたプラグスーツに素早く着替えた。青いカラーリングの、初号機に搭乗していた時のものだ。

「弾はすぐに溶けます。今、応急処置してますから」

 サクラは負傷したミサトを甲板の上に寝かせて応急処置を行っていた。自分のやった事だけに声が震えている。

「大丈夫よ少尉」

 ミサトは甲斐甲斐しく手を動かすサクラを気遣うように言った。そこに、準備の整ったシンジが近づいた。

「碇シンジ君。父親に息子ができることは、肩をたたくか殺してあげることだけよ。加持の受け売りだけど」

 ミサトは、最後に少しだけおどけて見せた。シンジは近寄って、ミサトの横に屈み込んだ。

「ミサトさん、加持リョウジ君に会ったよ」

「元気だった?」

 ミサトは微笑をたたえてシンジの話を聞く。

「うん」

「そう。良かった」

 深い安堵のため息。もう一度、シンジを見る。

「すごくいいやつだった。ちょっとしか話してないけど、僕は好きだよ」

 シンジは明るい顔でミサトに気持ちを伝えた。今まで立ち塞がっていた壁を溶解するように、視線を逸らさずに言った。

「ありがとう」ミサトがシンジを抱き寄せて言った。「必ずサポートする。頼むわ、シンジ君」

 それに応えるように、シンジは腕を回して身を寄せると、勇敢な表情をたたえて立ち上がった。

「うん。ミサトさん、いってきます」

「いってらっしゃい」

 

 光の輪を浮かべた改8号機がヴンダーの甲板から離脱する。ゆっくりと上昇する機体をWILLEヴィレの隊員が見上げていた。そして光の輪が頭上から足元に移動すると、改8号機は身を翻して光の内部に飛び込んだ。

 ゲンドウの去った場所へ、改8号機を内包した光の球が降下する。それを見届けたミサトは、サングラスを掛け直して、隊員に向き直った。

「では、仕事に戻りましょう」

「艦はボロボロ、主機も補機も失ったまま。こうして浮いているだけでも奇跡ね」

 リツコが周囲の惨状を指して言った。

「それで結構。予備動力が尽きる前に、更なる奇跡を起こすわよ」

 現実に屈することなく最後まであがくこと、それがミサトの決意だった。

 

「オーバーラッピング対応型の改8と、アダムスの器を取り込んだプラスフォーインワン状態のおかげで、この裏宇宙でも難なく進めてる。ありがたいことだにゃ。さてワンコ君。キミがやることは、アンチLシステムが全て止まって、みんながコア化してしまう前に、第13号機を破壊し、起死回生を図るしかない」

 マリは改8号機に同乗しているシンジに説明した。シンジはコックピットに寄り添い、全天周囲モニターに広がる墨で描かれた雲のようなカオスを見ていた。

「うん。分かってる」

「しっかし、さすがはゲンドウ君。裏宇宙なのをいいことに、量子テレポートを繰り返してる。こりゃあ捕まえるのに骨が折れそうだにゃ」

 距離感を持たない茫漠とした空間で、13号機の像が不規則な動きを見せる。その非現実的な光景を見ても、シンジは落ち着き払っていた。

「大丈夫マリさん、行ってくるよ」

 シンジは余裕のある笑顔を浮かべて、前方に歩みだした。二人を取り巻く光景が白くかすれて、何もない空白になった。マリはコックピットから離れるシンジの背中に声をかけた。

「ワンコ君、第13号機の中に姫の魂が残置されてる可能性がある。だから姫を――アスカをお願い」

「やってみるよ」

 シンジは振り向いて答えると、再び背を向けた。そしてつぶやく。

「綾波……」

 空白に青白い粒子が浮かび、それが円形に広がって時空の穴を作った。

「君がどこにいても、必ず迎えに行く。だから、絶対に待ってなよ。シンジ君」

 マリはコックピットの上に立ち、少年を見据えた。それは今までに見せなかった真剣な眼差しだった。

「うん。ありがとう。待ってる」

 シンジは時空の向こう側に立ち、マリと向かい合った。そして青い光の粒が収束すると、白い空白だけになった。

 マリは一人そこに佇み、少年を見送った。そしてまたカオスの雲が立ち込める。

「Good Luck.」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

「もういいのか? レイ」

 ゲンドウは初号機にいるであろう亡魂に言った。

 レイはコックピットに搭乗していた。ただし、髪の伸びた大人の体で青白く発光する幽体のような容姿だった。シンジがその空間に時空の輪を通って現れる。そして彼女に優しく声をかけた。

「綾波」

「碇君、ごめんなさい。碇君をエヴァに乗らないで済むようにできなかった」

 レイの声は弱々しかった。そんな彼女を労うように、シンジは笑顔を浮かべた。

「いいんだ。ありがとう、綾波。あとは僕がやる」

「うん。お願い」

 すると、初号機の目が発光し、失われていた四肢の右腕が再生した。その胴を持ち去った13号機の喉元を逆に掴み返す。

「初号機パイロットが覚醒したか」

 ゲンドウはその事態を認めた。喉を締め付ける間接的な感覚が、彼にうめき声を上げさせた。シンジは赤く発光した鋭い目で13号機を睨み上げた。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 ヴンダーの船体に引かれたレールの上を、小型の単線が疾走する。四角い輸送ポッドとでも言うべきそれは、回転するアームに支えられて縦横無尽の軌道を乗りこなしていた。

「改8経由でマイナス宇宙からの信号を受信! エヴァ初号機、再起動!」

 壁にもたれて手元の端末を操作しているマヤが言った。車輌には、ミサト、リツコ、マヤ、ミドリの四名が搭乗していた。

「めっちゃありえないっしょ! 疫病神のシンクロ率はゼロなのに」

 ミドリは不機嫌な調子で言い放った。

「まさかシンジ君の本当のシンクロ率はゼロではなく、それに最も近い数値」

 リツコの覗く端末のインターフェイスに〝9〟が積み上がっていく。座席に腰を下ろしている彼女の端末を覗き込んで、マヤが認めた。

「はい。シンクロ率、無限大です」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 覚醒した初号機が肢体の全てを復活させた。二本の腕で13号機に掴みかかり、左手で一本の槍を奪った。

 相手の腹を蹴りつけて距離を取ったシンジは、ロンギヌスの槍の形状を変化させた。二重螺旋の双頭が鋭利な平根に変わる。シンジはその切っ先を13号機に向けた。

「ほう。希望の槍カシウスと変わるか」

 シンジは槍を構え直して末端を相手に向けた。二重螺旋が先端で一つになった細長い形状だ。

「もうやめてよ父さん! あ――」

 気がつくと、13号機の手が矛先を掴んでいた。

「駄目だ。私には、成すべきことがある!」

 ゲンドウは有無を言わさぬ迫力で、初号機もろとも時空の深部へと落ち込んでいった。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 改8からの信号が途絶えた。

「アナザーインパクトまで無理やり起こして、あの男は何がしたいんですか?」

 ミドリは忌々しげな口調でゲンドウを批判した。

「アナザーの目的として考えられるのはただ一つ、フォース用に槍を新造し、アディショナルのために二本の槍を最後まで温存したのよ。恐らく、たった一つの願いのために」

 リツコの言葉を聞いて、ミドリは顔を顰めた。

「馬鹿らしい、ただのエゴじゃん」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 堂々たる貫禄を見せつけて、ゲンドウは初号機の動きを封じていた。

「もうすぐ会えるな、ユイ」

 シンジは両腕を掴まれて動かなくなった機体を、何とか操作しようとしていた。

「くっ、動かない。離してよ父さん!」

 操縦桿を強く引き、引き絞った目を開いた時、何かに気づいた。

「あ――」

 空間の遥か彼方に、浮かぶものがあった。シンジは、それを冷静に見定めようとする。

「あれは?」

「ゴルゴダオブジェクトだ。人ではない何者かが、アダムスと六本の槍とともに神の世界をここに残した。私の妻、お前の母もここにいた。全ての始まり。約束の地。人の力ではどうにもならない。運命を変えることができる唯一の場所だ」

 組み合いながら空間を移動するエヴァ両機が、それに近づいた。黒い支柱で造られた十字をいくつも組み合わせて構築した巨大遺跡――それがゴルゴダオブジェクトの外観だった。その大きさは桁外れで、支柱の表面には白い未知の紋様がびっしりと敷き詰められていた。

 シンジはゲンドウの言葉を聞きながら、長い長い支柱の側を滑空する。そして十字の交差する場所を通過して、末端に近づいた時、最後の突出した部分に衝突した。

 

 シンジは追憶の世界に飛ばされた。

 知らない天井の下で急に目覚めたシンジは、病院のベッドの上で身を起こした。

「ここは――」場面が切り替わった。「エヴァのケイジ?」

 声が反響するNERVネルフ本部の施設だった。エヴァの顔の高さに設置された高架の上で、シンジはプラグスーツを身に着けていた。

「何だ? ここ」

 シンジは困惑の表情を浮かべた。すると頭上から、ゲンドウの声が聞こえた。

「お前の記憶の世界だ」

「父さん」

 ゲンドウは、エヴァの格納庫に佇むシンジを見下ろしていた。

「マイナス宇宙を我々の感覚機能では認知できない。ゆえに、LCLが知覚可能な仮想の世界を形成している。おとなしく初号機を渡せ。そうすれば、お前も再び母に会える」

 シンジは揺れる心を抑えるように、手を握りしめる。

「無駄な抵抗を試みるか。これだから子供は苦手だ」

 ドックの設備が動き始めた。初号機の安全装置が外されて出撃可能状態へと移行する。ゲンドウはシンジの意思を見透かすが、シンジの決意は本物だった。

 地上の射出ゲートが開かれた。初号機がカタパルトに乗って薄闇の街に送り出された。最初の一歩を踏み出す。それが力強く、大地を踏んだ。

「仕方がない。回り道をしよう」

 第3新東京市の要塞ビルに腰掛け、13号機が待ち構えていた。ゲンドウは悠然とした態度で、息子の抵抗を迎える。

 暁光に照らされた都市に立つエヴァ二体が、槍を持って睨み合った。顎を開いた初号機の口から、熱い息が吐き出される。

 腰を落として槍を構えた二体が、同時に動き出した。道路で結ばれた直線を走り、距離を詰めると、一気に槍の打ち合いとなった。

 初撃からゲンドウの方が押した。火花を散らして金属のぶつかる音が響く。シンジは連撃を受け流しつつも、後退していった。刃を弾かれ、顔をかすめた衝撃で、数瞬よろめく。ゲンドウは、その隙を見逃さなかった。ロンギヌスの双頭でカシウスの柄を絡め取ると、一気に引いて初号機のバランスを奪った。

 初号機は相手の腕力に引き回されて民家を薙ぎ倒した。周囲の損壊は、ミニチュアのブロックを崩した程度のものだった。シンジの記憶の世界である。これは再現だ。実物ではない。

 だがシンジは、本気でやらなければいけなかった。殴られれば痛い。そしてその通り、13号機に殴り飛ばされて、初号機は吹き飛んだ。

 初号機は陸橋を破壊して、片側二車線の道路に倒れ込んだ。13号機の追撃。シンジはA・T・フィールドを展開して槍撃を阻止した。ゲンドウは、それが弾けるのを見計らって再度攻撃。シンジは槍を避けて反撃に転ずるも、体勢を崩されて遠方に投げ飛ばされた。

 初号機は都市の上空を舞い、発電設備に突っ込んだ。大掛かりな仕掛けが押し出されるように転倒し、舞台裏の資材を露出させた。

 ホリゾントを背に倒れ込んだ初号機の周りには、脚立や嵩上げの台座が転がっている。シンジは、その中で果敢に立ち上がり、コックピットのスロットルを前に押し出した。

 次の場面はミサトの家だった。缶ビールや缶コーヒー、日本酒の空き瓶が並ぶテーブルを隔てて、二体のエヴァが対峙する。

 シンジは槍を引いて13号機に切りかかった。その軌道がテーブルに並ぶゴミを撒き散らした。ゲンドウの反撃でテーブルが叩き割られる。シンジは13号機の蹴りをA・T・フィールドで防ぐが、その反動で背後の壁をぶち破って舞台美術の外へ落下した。大道具が並ぶ場所で、シンジは気合いを入れ直す。次の場面は学校だ。ここで引くわけにはいかない。

 2年A組の表札を掲げた教室でエヴァ二体は間合いを取っていた。槍を低く構えて狩人のような姿勢になった二体は、同時に飛びかかり槍と槍を衝突させた。互いのA・T・フィールドがぶつかり合い、衝撃で学習机が吹き飛んだ。

 場面が転換した。次はレイの部屋だった。剥き出しのコンクリートに囲まれたワンルームの部屋で、カーテンの隙間から光の筋が漏れている。

 二人は様々な場所で槍を打ち付けあった。ジオフロント。加持のスイカ畑。シンジは違和感を覚え始める。

「何だ? 僕と同じ動きだ。やりづらい」

「第十三のエヴァ。希望の初号機と対を成す、絶望の機体だ。互いに同調し、調律をしている。これも私に必要な儀式だ」

 ゲンドウは防戦に転じたシンジに一気に畳み掛ける。巨大な想像力がシンジの中に影響を及ぼす。

「もうやめてよ父さん――ああっ」

 シンジは強烈な突きを食らってよろめいた。そして場面は、かつて自暴自棄の時分に訪れた北の湖の廃墟に変わっていた。澄んだ湖面のほとりに倒壊した建物が積み上がっている。その白い漂白された場所で、たった一棟だけ残されたNERVネルフ施設の跡地が背後に迫る。

「無駄だ。お前のひ弱な力では、私を止めることは出来ない」

 ゲンドウは威圧的な猛攻で初号機を押し出し、その施設の跡地へ向かって突き飛ばした。施設の壁が半壊し、初号機はそれを乗り越えて湖に落下した。水しぶきが上がり、蒼穹に虹がかかる。

 横に倒れたシンジが見た光景は、かつてカヲルとピアノを弾いた場所だった。その輝かしい記憶がシンジを立ち上がらせた。だがゲンドウは、その足元を槍ですくい、第3村の丘陵へ投げ飛ばした。

「まだ分からないか」

「うわー!」

 山肌に激突して斜面を滑り落ちた初号機は、第3村のセットの置かれた模型の台座の縁で止まった。シンジはすぐに身を起こして、第3村のセットの中に駆け込む。

 広大なロケーションとしてセットされた集落を飛び越えて初号機が13号機に斬りかかる。ゲンドウは槍を地面に突き刺し、武器を使うまでもないと示すかのように、片手でシンジの攻撃を受け止めると、喉元を掴んで締め上げた。

「力でも敵わない。まして暴力と恐怖は、我々の決着の基準ではないからだ」

 第3村の交通設備に向かって投げ飛ばされたシンジは、戦闘によって破壊された無残な光景を目撃する。レールはひしゃげ、列車は裏返り、砂煙が辺り一面を覆っていた。そこで生きていた人々の顔が、シンジの頭をよぎった。

 シンジは初号機を立ち直らせると、槍を地面に突き立てて、13号機と正面から向き合った。

「そうだ。これは力で決することではない」

「うん。父さんと話がしたい」

 

「父さん。父さんは、ここで何がしたいの?」

 シンジはNERVネルフ本部の司令室で、ゲンドウと向かい合っていた。全面ガラス張りの壁、重苦しい天井と床。シンジの立ち位置と、ゲンドウの執務机は、遠い。

「このゴルゴダオブジェクトでしか起こし得ない、アディショナルインパクトだ。それが、私の神殺しへの道へとつながる。そのために最後の二本の槍を、ここに届けた」

 ゲンドウは組んでいた両手を離し、掌のあいだに二体のエヴァのミニチュアホログラムを投影させた。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

「やはり、マギコピーの予測も、碇司令が最後に槍を二本とも使い捨てる可能性が高いわね」

 ヴンダーの艦内を歩きながらリツコが言った。彼女が先導する後ろで、負傷したミサトがミドリの肩を借りていた。

「槍を全て失うと、シンジ君が発動を止める術も失ってしまうか」

「じゃあ、どうすんのよ」

 ミドリが言った。彼女はもはや体裁を取り繕うのを止めていた。それが口調に表れているのだ。

「私たちで新たな槍を作り、彼の元へ届けます」

 ミサトが答えた。

「できっこないっしょ! それこそ、どうすんのよ」

 ミドリが明け透けな反応を見せた。ミサトは自分の考えを伝えるしかなかった。

「本艦がヴーセとして乗っ取られていた時、艦隊は黒き月をマテリアルとして、見知らぬ槍を生成していた。ならば、この艦を使って新たな槍を私たちで作り出せるはず。ヴンダーに人の意志が宿れば、更なる奇跡もありえるわ。リツコの知恵とヴィレとヴンダーの言霊を、私は信じる」

「無茶言うわね。サンプルは、さっきの発動データしかないのよ」

 名前を言われた当の本人が携帯端末を掲げて見せる。

「リツコには十分でしょ」

 ミサトに言われて、リツコは画面に視線を注いだ。

「そうね、やってみるわ。要は脊椎結合システムにありそうよ。マヤ、悪いわね。ぶっつけ本番でいくわよ」

 それを受けて、同行していたマヤは朗らかに笑って答えた。

「ノープロブレムです。副長先輩。いつものことですから」

 一行が主要機関部に到着すると、中で作業していた隊員が振り返った。

「整備帳! 幸い予備動力と脊椎結合ブロックは無事です! ここで直接、組み換え作業しちゃいましょう」

 竜骨に支えられた巨大な空間は血に塗れていた。機械的な背骨のような構造物が両斜めの天井と床に這っている。そこはヴンダーの動力源として使用されていた初号機の格納場所だ。

「駄目よ! あなたたちは退避して! ここにいるだけで危ないのよ」

 マヤはワイヤーにぶら下がって不安定な場所で作業する部下に言った。

「最後の奉公です!」

「やれるだけやりましょう!」

 そこにいる多くの隊員は清々しい顔をしていた。彼らは自分の使命を自分たちの意思で全うしようとしている。マヤは、返す言葉を失って、ふっと表情を緩めた。

「これだから、若い男は」

 するとリツコが一歩前に出て現場を引き締めた。彼女の顔には珍しく誇らしげな微笑が浮かんでいた。

「さあ、碇司令が何かやらかす前に、シンジ君をサポートするわよ」

「はい!」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

「初号機パイロット、お前に見せたい物がある」

 ひび割れた顔面の十字の亀裂の内部に溶鉱炉のような光が灯っている。ゲンドウは無感情な声で、シンジを別の場所へといざなう。

「これは、黒いリリス」

「お前の記憶では、そう映るのか。エヴァンゲリオン・イマジナリー。葛城博士が予測した、現世には存在しない想像上の架空のエヴァだ。虚構と現実を等しく信じる生き物。人類だけが認知できる」

 ジオフロントの最深部にあった巨大な空間で、黒い巨人が十字にはりつけにされていた。白い仮面以外は消し炭のような色で、腹部から下が樹の根のような腫瘍に変わっている。生気は感じないが、根の先が痙攣している。そして体液が十字を伝って下へ流れ落ちていた。

 そこに槍が現れ、二本で一組の螺旋を作り、ゆっくりと巨人の胸に突き刺さった。

「絶望と希望の槍が、互いにトリガーとにえとなり、虚構と現実が溶け合い、全てが同一の情報と化す」

 黒かった巨人の体が純白に変わり、はりつけにされていた手が引き抜かれた。

「これで自分の認識、すなわち、世界を書き換えるアディショナル・インパクトが始まる」

 白い巨人は、ゆっくりとLCLの溜池に着水した。圧倒的な質量がオレンジ色の水しぶきを上げて波を起こす。ゲンドウは、それを迎え入れるかのように両腕を広げていた。

「私の願いが叶う唯一の方法だ」

 シンジはその現象を一時も目を逸らさずに見ていた。ゲンドウの目の前に巨人の顔が迫った。そして、そのまま上昇を続ける巨人は、セカンドインパクトの爆心地を抜け出した。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 前代未聞の規模に巨大化した白い仮面が、深淵の中から出現した。周囲に浮かぶヴンダーや敵艦が、ハエほどに見える大きさだ。

 陶器のようにつるりとした表面を持つ仮面の後ろには、豊かな青い髪が生まれていた。そして仮面がずり落ち、頭部の角度が変わると、綾波レイの顔が顕になった。

「これがアディショナル・インパクト?」

 ミドリは作業中の手を止めて、唖然とした表情を外に向けた。彼女の後ろでラップトップのキーボードを叩いていたリツコが、憂鬱な表情で舷窓を見る。

「ええ。恐らくあれが、エヴァ・イマジナリー。まさか実在するとはね」

 ヴンダーの視界を埋め尽くすほどの巨大な綾波が、髪を揺らしてこちらを向いた。石膏像のような肌とガラス玉のような瞳は、リアルではあるが不気味だ。

「変よこれ! 絶対ヘン!」

 ミドリが叫んだ。舷窓を覗き込むように回転してきた綾波の目が瞬きをした、直後。

 ガラスを突き破るような爆発が生じて、光の粒子が舞った。

 赤く染まっていた大地に陽の光が差すように、輝く草原色の波動が放射状に放たれる。抜け殻のように浮かぶエヴァ・インフィニティが、亡霊のように徘徊するエヴァ・インフィニティが、その波動によって浄化されていく。

 浄化されたインフィニティの群れは、首のない無垢の肢体を手に入れて大空へ飛び立つ。その光景を見ていた冬月が、満足そうな声を上げた。

「うむ。ようやく始まったな」

 ブリッジの上で全天周囲モニターを見上げていた冬月の背後に足音が響いた。

「君か」

 白いプラグスーツ姿の真希波・マリ・イラストリアスが、鉄骨の足場に立っていた。

「お久しぶりです。冬月先生。しっかしこの船の中、L結界密度が高すぎません?」

 マリは腰に手を当てて、ぐるりと周囲を見回した。

「ああ、元来有人仕様ではないからな。無理は承知だ。人には常に希望という光が与えられている。だが希望という病にすがり、溺れるのも人の常だ。私も碇も希望という病にしがみつき過ぎているな」

 冬月は後ろ手を組んでマリに背を向けている。マリが続ける。

「ゲンドウ君は、自らが補完の中心になることで願いを叶えようとしている。それを助けたい――いいえ、願いを重ねる冬月先生の気持ちも分かりますが、人類全てを巻き添えにするのは、御免被りたいにゃ」

「だろうな。私の役目は終わりだ。君が欲しいものは集めてある。あとは、よしなにしたまえ。イスカリオテのマリア君」

 するとモニターが落ちて空間が闇に沈んだ。

「ふふっ、超久しぶりに聞いたなあ、その名前。では、おさらばです」

 マリは足音を反響させて足場を伝い、その場を去った。

 冬月は、誰もいなくなった空間で人知れず持っていた写真を取り出し、悲しげな表情をそこに向けて、ぽつりと呟いた。

「ユイ君、これでいいんだな」

 冬月は液体を散らして、LCLの一部に帰った。

 空中ではインフィニティの群れが手を取り合い螺旋を描いていた。それを望む綾波の顔には後光が差していた。

 

 重厚な音を立ててヴンダーの機関部が動き出した。口径の太い鎖が火花を散らして下ろされる。それと連動するように背骨のような設備が稼働を開始。マヤが内線を通じて、それを上官に報告。

「動きました! これでいけます!」

「艦長、あとはここにいるクルーで十分よ」

 リツコが主ブリッジに対して連絡を入れた。ミサトは誰もいない指令中枢に立ち、それを受けた。

「了解。総員退艦」

『総員退艦! 繰り返す、総員退艦! 負傷者収容を最優先。脱出カプセルに急げ!』

 警告が鳴り響く艦内通路を多数の隊員が駆け抜ける。最後の戦いが始まろうとしている。その緊張感が全員に伝播しているかのようだった。

 

 マリは左腕を損失したままの改8号機に乗り込み、今までに投入された敵機と睨み合っていた。

「アダムスの器たるエヴァ・オップファータイプが勢揃い。さすが冬月先生、手際がいい、にゃ!」

 冬月の乗っていた2番艦に集結した三体のオップファータイプ。改8は空中に浮かんでいた姿勢を翻して、三体のうちの一体、Mark.10に迫った。

「悪いけど、オーバーラッピングのための、糧になってもらうわ、よっ!」

 敵の攻撃を弾き返して高台から甲板に叩きつけた改8号機は、人のような歯牙をむき出しにして、その首元に喰らいついた。仮面ごと頭部を食いちぎり、そのまま捕食する。マリは沸騰するように泡立つエントリープラグの中で、野生の衝動を抑えながら言う。

「これで8プラス9プラス10!」

 血しぶきを上げて絶命する敵機に馬乗りになる。そのエネルギーで左腕を復活させた改8は、背後に迫った敵機を見もせずに迎撃した。

「ふんっ!」

 改8の手から放たれたA・T・フィールドの先に、エネルギーで形成された虎のような獣が現れた。それが巨大な口を開けて人型の敵機を噛むと、上半身を食いちぎって丸呑みにした。

「プラス11」

 血の海に立ち上がった改8の背中に、光の輪が三重に浮かんだ。残りの一体となった敵はそれを見て怯えているようだった。マリは猟奇に狂った殺戮者を演じて、その方に狂気の目を向けた。

「さあ、ラストいってみようか!」

 

『第4脱出カプセルまでのハッチを閉鎖。艦内残留者は速やかに5番カプセルに急いでください』

 もぬけの殻となった艦内にオペレーターのアナウンスが流れる。一度は席に収まったものの、いてもたってもいられない様子で、長良スミレがシートベルトを外し始めた。

「やはり私、操艦席に戻ります」

「今は生き延びるのが俺たちの仕事だ。どれだけ辛くともな」

 高雄コウジが低い声で言った。スミレは、そこで手を止め、うなだれるしかなかった。

 

 ヴンダーの主ブリッジでは、ミサトがたった一人で次の発進を待っていた。仮想パネルやコンソールのインターフェイスが復旧し始める。そこに副長から連絡が入った。

『艦長、組み換え作業を完了。これでいけると思うわ』

「了解。全ての操艦システムを艦長席へ。その後、速やかに退艦して」

「ミサト?」

 内線を耳にしているリツコが声のトーンを下げる。

「これは誰かが確実に、発動させなければならない。そして本艦の責任者は、私です」ミサトはサングラスを外して前を見据えた。「生き残った命を、子供たちを頼むわ。リツコ」

「分かってる、ミサト。ベストを尽くすわ」

 リツコは上を向いて目を閉じた。野暮な台詞は言わない。

「ありがとう」

 脱出カプセルが船体から切り離された。長い尾を引いて上昇する五機の下に残っているのは、ミサトただ一人だった。

「予備電磁力は残り僅か。やはり、最後に頼るのは昔からの、反動推進型エンジンね」

 ミサトは帽子を脱ぎ去り、長い髪を解いて後ろに流すと、イグニッションボタンのカバーを外して、赤い物理ボタンを押下した。

 ヴンダーの主翼後部に備わっていた大出力のロケットが点火した。それが、鋼鉄の翼竜に残された最後の力だった。

 

 改8号機の攻撃により、NERVネルフの巨大艦が沈められる。Mark.10、Mark.11、Mark.12を捕食して強大な力を得た改8は、ヴンダーがあれほど手を焼いた相手を苦もなく排除した。

「もうリリンが君らを使うこともない。ゆっくり眠りな、アダムスたち」

 マリは光の海に沈みゆく三隻の空中戦艦を見下ろす。そして視線を周囲に巡らせると、進行する〝儀式〟の全容に目を向けた。綾波の顔の背後に首から下の巨大な体が形成される。それが大きな翼を広げると、強い光を放った。

「ヴンダーが動き出した。合流を急ぐかにゃ。しっかし、人類のフィジカルとメンタル、両方の補完を同時に発動させるとはまあ。ゲンドウ君、君は――」