ケンスケの運転する四輪駆動のオフロード車が陽光の下を走る。
山林に囲まれた明るい道だった。倒壊した電柱や、朽ち果てた軍用車輌の放棄された公道を抜けると、すぐに舗装されていない山道に入った。
「たまにはドライブもいいだろう? 気分転換になる」
シンジは助手席に座って外の風を受けていた。景色は森の緑一色、下生えの高さも増してきた。
「うちは村の基幹産業たる農業労働を免除させてもらっている、なんでも屋だからな。今日は外郭のインフラと環境チェックが主な仕事だ。忙しいぞ」
山頂を望むと風力発電の装置が立ち並んでいるのが見えた。しかし、それらは稼働しているようには見えない。ケンスケがそれについて説明を加える。
「とは言え、既存のインフラは寿命が来て、ほとんど止まったままだ。修理は難しいから放置している」
適当なところへ車を停めると、二人は徒歩で山道を登り始めた。石段のある鳥居を抜けて、切り出した岩を見上げながら、林道を進んでいく。
ケンスケは木漏れ日の中を歩きながら、シンジに様々な事を聞かせる。
「枝は落ちている物か、枝打ちした物しか使わない。残された森を大事にしていきたいからな」
渓流が視界に入る頃、澄んだ音がだんだんと近づいてきた。ケンスケは岩場を渡って、せせらぎを見て回り、シンジを目的の場所へと導いた。
「第3村の生活基盤は、ここの水に頼ってる。ここの水量のチェックは重要だ。村の死活問題に直結している、まさに命の水だからな」
川の上流に美しい湖があった。ケンスケは山肌の傾斜が水面に接している場所まで下りて、シンジに向かい合った。
「この先の水源を見てくる。碇には道がきついから、ここで仕事してくれ」
そう言って、ケンスケは釣り竿を取り出した。
「これで食材の調達を頼むよ」
「だめだよ。やったことないし、僕には無理だよ」
シンジは浮かない顔で、差し出された物を受け取ろうとしない。ケンスケは握りしめた竿を顔の高さに掲げて、兄のように促した。
「いいから、やってから言え」
シンジは釣り竿を握りしめて帰りの車に揺られていた。浮かない顔だった。ケンスケは明るい調子で彼を励ます。
「まあ、気にするな。うちの割り当ては週に一匹。次があるさ」
軽快に走る車の車窓は、森に満たされていた。その時、さっと視界が開けて、黒い巨大な金属質の円柱が見えた。
「あれが、ヴィレの置き土産だ」
ケンスケは事もなくそう言った。
全高およそ二百メートルにもなる物体が、山間部に直接何本も突き立っている。赤い発光ダイオードのような光が長方形の紋様を映し、ゆっくりと回転している。まるで古代遺跡か超文明の科学兵器のような外観。赤い地平は、その円柱を堺にせき止められているようだった。
シンジはその無機質で奇妙な光景を無言で眺める。
「相補性L結界浄化無効阻止装置って代物だよ。あれのおかげで、第3村がコア化されずに済んでいる。ミサトさんたちのおかげさ」
藪の中に車を停めたケンスケは、ビデオカメラを赤い大地に向けた。すると、赤色化してゲル状になった地表から、怪獣のような巨体が起き上がった。
「最近見るようになったんだ。〝ハイカイ〟と呼称している。ずっと埋まっていた首なしエヴァが、いきなり動き始めたんだ。今日はその監視さ」
魂を失ったゾンビのように、ハイカイが赤い大地にのさばっている。ケンスケはその光景を見届けると、声のトーンを落とした。
「やはり、封印柱からこっちには進入してこない。ハイカイに対しても機能している。なんでも屋にも出来ないことはある。あれが止まったら、お手上げだ」
その後、再び車に乗り込んだケンスケは、帰路の途中でシンジに語りかける。
「見ての通り、ここもいつまでもつか分からないのが現状だ。けど、その時までは精一杯、ジタバタ生きるよ」
※ ※ ※ ※ ※
赤黒い粒状の物体が液体に満たされた瓶の底に沈んでいる。レイは謎の容器が置かれたテーブルの端に手をついて、下から覗き込むように見上げていた。
「それは梅干し。夫が毎年食べるのを楽しみにしてるのよ。生きることは、辛いことと楽しいことの繰り返し。毎日が今日と同じでいいの。そういうもんでしょ?」
ヒカリが台所で食器を拭きながら快活に語る。レイの背中では紐でくくられたツバメが上機嫌な声を出していた。
「人生で今がいちばん若い時だし。今をしっかり生きたいの。ツバメもいるしね」
そう言われて、レイは肩越しに後ろから手をのばすツバメを見た。
「ほんと、私より懐いてる。そっくりさんも、ずっとここにいたらいいのに」
※ ※ ※ ※ ※
「私の名前?」
レイは共同浴場でいつもの農婦と会話をしていた。
「そう、そろそろ決まったかい?」
正面に向かい合う農婦の一人が、肩を揉みながら言った。
「ううん。まだ思いつかない」
レイが答えると、もう一方の農婦が明るい口調で提案した。
「じゃあ、いっそ誰かに決めてもらいな」
※ ※ ※ ※ ※
「君の名前?」
北の湖畔で釣り糸を垂らしていたシンジは、竿から視線を外してレイの顔を見た。レイは農作業用の装いで麦わら帽子を抱えるように持っていた。シンジは相変わらず独りではあったが、以前よりも表情に生気が戻りつつあった。
「そう。私に名前を付けてほしい。ここにいたい。そのために名前が必要。だから、名前を付けてほしい」
レイは時が止まったかのような廃墟の中で、少年に問いかけた。
「名前っていっても、君は綾波じゃないし」
シンジは視線を戻してリールを手繰る。そんな様子のシンジを真っ直ぐに見据えて、レイは言った。
「どんな名前でもいい。碇君の付けた名前になりたい」
※ ※ ※ ※ ※
「初期ロット、ちゃんと動いてる?」
ケンスケの家の台所で洗い物を片付けるシンジに向かって、アスカが言った。夕食を終えて作業台に向かうケンスケの姿もあった。
「うん。今日も来てたけど、何?」
アスカはシンジの言葉を聞いて、含みのある言葉を返す。
「そう。ならいい」
※ ※ ※ ※ ※
レイはツバメが寝息を立てる薄暗い部屋で本を読んでいた。あの列車を改造した図書館で女の子から受け取ったポショワールの絵本だ。
畳の上にランタンを置いて、淡いオレンジ色の光を頼りに頁を繰っていると、突然、プラグスーツがアラートを発して右腕の内側に赤い文字を浮かび上がらせた。
レイは静寂を破ったシグナルを見た瞬間、NERVの記憶を呼び起こして、その場に倒れ込んだ。
「は!」
レイは金縛りにあったかのように動かなくなった身体の中で、自分の運命を思い出す。
――そう。私はNERVでしか生きられない。
同時期に、SEELEの管轄する赤黒い液体の中で、綾波タイプの別の個体が覚醒しようとしていた。
※ ※ ※ ※ ※
シンジは資材運搬用の猫車を押しながら、トウジと横並びになって村の中を歩いていた。トウジは作業用のつなぎを着て、シンジは一張羅のジャージ姿だった。
「どうやシンジ、ここにも随分慣れてきたやろう」
「うん。少しは」
シンジは成長が止まってしまった中学生の体で、背が伸びてしまった同窓生を見上げた。トウジは角の取れた口調で穏やかに答える。
「そらあ、ええこっちゃ。知らん人同士の寄せ集めやったこの村も、なんやかんやでようやっと落ち着いてきたわ」
二人は村の仮設住宅群の中を歩いていた。ソーラーパネルを乗せたトタン屋根が立ち並び、木組みの火の見櫓も見えた。
「最初は大変だったの?」
「せやなあ、随分いろんなことがあったなあ。へたれなガキのままでは、生きとられん世界やった。ワシらも早よう大人になって、なんでもできるようになるしかなかった。家族のためには、お天道様に顔向けできんようなこともした。生きるためには甘っちょろいこと言うとられんかったんや。ワシのやっとることは、医者なんて立派なもんやない。医者の真似事、独学の人助け。クレーディトの用意してくれた診療設備があるから、なんとかなっとる」
トウジの話を裏付けるかのように、軍事施設の残骸や朽ち果てた軍用機が、至る所に放置されていた。綺麗事だけでは語ることの出来ない現実がそこにある。復興は一日にして成らず――それは現在進行中であることが伺えた。
「トウジは立派だよ。人を助けてるんだから」
「助けられん命もある。その時の悲しみや怒りを引き受けるのも、医者の役目と思うて続けとるんや。自分のやらかしたことには、落とし前っちゅうか、けじめをつけたい。そない思うて生きてるさかいな」
シンジは真剣な面持ちで話を聞いていた。トウジは、ふと顔を上げて遠くの空を見据えると、少年に語りかけるような口調で続けた。
「シンジ、お前はもう十分みんなのために戦うた。これからはここで、ワシらと一緒に生きたらええ。ワシはそう思うで」
※ ※ ※ ※ ※
小高い丘にささやかな木が一本生えている。その足元に角材で作られた墓標が何本も立てられていた。
シンジはケンスケに連れられて、その墓の前で手を合わせる。アスカも一緒だった。
「ありがとう。朝から付き合ってくれて」
花を供えた墓標の前に屈み込み、黙祷を捧げてからケンスケが言った。彼は背を向けたまま腰を上げずに、その経緯を話し始めた。
「ニアサーを生き延びた親父が、まさか事故であっさり死ぬとは、その時はまるで思わなかったな。こんなことなら、ちゃんと話をして、酒でも飲んで、愚痴の一つも聞いときゃよかったよ」
ケンスケはそこで振り返ると、シンジの顔を肩越しに見上げた。
「お前の親父は生きてるだろ? 無駄と思っても一度は会って、きちんと話せよ。後悔するぞ」
「そんなのこいつには重いわよ。あの碇ゲンドウじゃ」
アスカが吐き捨てるように言った。そこにはの共感めいたものが含まれていた。それでもなお、ケンスケは墓前に視線を戻して言う。
「しかし、親子だ。縁は残る」
※ ※ ※ ※ ※
早朝。第3村の新しい一日が始まろうとしている時間に、小鳥の囀りに混じって赤ん坊の産声が上がった。
その日の午後。レイは農婦四人と線路沿いを歩いて、仕事場から帰るところだった。彼女の周りでは、吉報に喜ぶ賑やかな会話が交わされていた。
「松方の奥さん、えらい難産だったそうやけど、よう頑張ったなあ」
「無事に産まれてよかったわ。旦那も泣いて喜んどった」
レイは偶然通りかかった猫を見て、顔をほころばせた。
「あら、あんた笑うんだねえ」
レイは、自分に向けられた指摘に気づくことなく、無自覚な表情を振り向けるしかなかった。
「うん、かわいいよ」
後方にいた農婦がその顔を覗き込む。前方を歩いていた農婦も振り返って同意した。
「ほんとうに、背格好もええし、たまには服、替えたらどうだい?」
レイは言われた事を素直に受け取り、澄んだ声を返した。
「うん、別の服、替えてみる」
その日のうちに、さっそく着せ替えの集会が開かれた。ヒカリの元で子供用のダンボール箱を引っ張り出した農婦たちが、レイに似合う服を探す。
「ねえ、今度はこの服どうだい?」
「いいねえ、似合うじゃない」
「やっぱかわいいよ」
「うちの嫁に欲しいわ」
和室の一角で姿見の前に立たされたレイは、第3新東京市立第壱中学校の制服を着せられていた。赤いリボンのついた青い制服は彼女の体型にぴったりだった。それはかつて、ヒカリが身につけていた物に違いなかった。
「これが、〝照れる〟?」
レイは鏡を通して自分と向き合っていた。すぐ側で娘をあやしながら見ていたヒカリが、実感を込めて言う。
「かわいいねえ」
レイはそこで、自分が頬を赤らめたことを知る。
「これが、〝恥ずかしい〟?」
※ ※ ※ ※ ※
コア化して赤黒くなったヒトの手が、剥き出しの地表から無数に突き出している。それは煉獄から救いを求める魂の叫びか、あるいは彼岸花の群生のように見えた。
「すまないな。少し暑苦しいけど、しばらく着装しててくれ。うちはなんでも屋だからな。クレーディトとの連絡係もやっている」
ケンスケはシンジと共に全身防護服に身を固めて赤い大地を歩いていた。まるで火星に到着した宇宙飛行士のような装いだ。雲ひとつない空は緑がかっていて、直射日光を遮るものは何もなかった。
「ここは比較的、L結界が薄い地域の復元実験を進めている、クレーディトの野外ラボだ。実はスタッフの中に紹介したいヤツがいるんだよ」
ケンスケが向かった先には、巨大なクレーターのような穴があった。それは不自然なことに直角の縦穴であり、赤い断崖絶壁の高さは数十メートル、陥没した穴の底には豊かな草原が広がっていた。
穴の直径は百メートルはあるだろうか。そのフィールドでの特殊な実験が行われているようだった。草原を掘削して作られた幾何学模様に、澄んだ水が水田のように張られている。その電子回路にも似た水路を構成しているのは、円形のノードと細い節だ。そこに見覚えのある黒い円柱が十本、突き立っている。円柱の先端は、それぞれがケーブルで繋がれていて、ネットワークを構成しているように見えた。
「相田先生ー!」
二人が絶壁の縁に立っていると、白い防護服姿で作業をしていたスタッフのうちの一人が、両腕を振り上げて合図を寄こした。
「お久しぶりです。そいつが新しい先生の助手ですか?」
実験場まで下りて行った二人を出迎えたのは、シンジと同じ年頃の外見を持つ好青年だった。彼は防護マスクを外してシンジの元へ歩み寄る。ケンスケも穴の底では頭の防護装置を外していた。この領域では素肌を空間に晒しても問題ないようだ。
「ま、そんなところだ」
ケンスケが言うと、青年は右手を差し出して友好的な笑みを浮かべた。
「知らない人って初めてだよ。僕は加持、加持リョウジ。君の名前は?」
日没の迫る工業地帯が影となって流れる。タワークレーンや送電塔、陸橋や処理施設。鉄とコンクリートで象られた世界は、やけに静かだった。
「どうだ、碇? いいヤツだったろう」
ケンスケは車を流しながら、助手席のシンジに語りかける。これまでの経緯、あの場所へ行ったこと、そしてその人物に会わせた理由――シンジがその事実を受け止めるには時間が必要だった。だから彼は彼なりの方法で、そのタイミングを見計らっていたのだ。
「うん、でもさっきの子、加持って……」
「ああ、ミサトさんと加持さんの子供だよ。十四才になる。本人は両親のことを知らない。ミサトさんの希望だ。母親らしいことは何もできないから一生会わずに、ただヴィレの責任者として子供を守るって決めたそうだ」
ケンスケが滔々と語ると、シンジは掠れた声を出した。
「あの……加持さんは」
「亡くなったよ。サードインパクトを止めるのに、誰かが犠牲になるしかなかった。加持さんはそれを選んだし、ミサトさんはそれを許した。ミサトさんは碇に全てを背負わせたことを、ずっと後悔している。自分が背負うべきだったって。碇をエヴァに乗せたくないのも、そういうことじゃないのか」
シンジは硬い表情でそれを聞いていた。ケンスケはそこに重ねるように、伝える。
「碇、つらいのはお前だけじゃない。ミサトさんも苦しんでる」
散乱光に彩られた世界が天色から茜色へと変わる頃。
シンジは山の斜面に腰を下ろして棚田を眺めていた。凪いだ水面が美しいグラデーションをそのまま写し取っている。どれ一つとして同じ色、同じ形のものは存在しない。その時、シンジは吹いてきた風に何かを感じて、顔を上げた。
「土のにおい」
稜線に沈みゆく太陽が雲を焼いて黄金色に輝いている。その隙間から幾筋もの光芒が射すのを見て、シンジは口ずさむ。
「――加持さん」
「明日はヴンダーがピックアップに来るそうだ。帰還ルートの話はついてる」
車をガレージに収めたケンスケは、アスカにメモと記録媒体を差し出した。アスカはミリタリージャケットを素肌に羽織った格好でパイプ椅子に座っていた。
「ミサトさんから頼まれていた村の記録だ。ヴィレクルーの家族も写ってる。それとトウジから妹さんへの手紙。〝あんじょう頼むわ〟だそうだ」
少しモノマネを交えたケンスケの説明が終わると、アスカは顔を上げて快諾した。
「うん、わかった」
すると、シンジがシャッターの開いた出入り口に現れて、帰宅を告げた。
「ただいま」
※ ※ ※ ※ ※
レイは薄明かりの部屋で安らかに眠るツバメの頬を触った。
レイが自分の手のひらを返して見ると、そこに火傷のような痣ができていた。
「涙?」
レイは自分の手にこぼれた涙を見る。そして、いつの間にか大粒の涙が目から溢れ出していることに気づいた。
「泣いているのは、私?」
ツバメが動いた。眠ったまま柔らかそうな口を動かした。レイはランタンに照らされた薄明かりの部屋で自分の手を見つめる。
「これが、〝サミシイ〟?」
※ ※ ※ ※ ※
翌朝、ヒカリはいつものように娘を抱いて、同居人の部屋に向かった。
「おはよう。そっくりさん」
声をかけて襖を開けると、そこにレイの姿はなかった。代わりに、和室の中央に小さく畳まれた制服が置かれていた。制服の上には、几帳面に置かれた下着、そしてメモ用紙が一枚添えられていた。
ヒカリはひざまずいて書き置きに目を通した。それは、たった四行しか書かれていない簡素なものだった。しかし、ヒカリには何よりも馴染みのある言葉だった。
「おやすみ、おはよう、ありがとう、――さよなら」
※ ※ ※ ※ ※
「おはよう」
黒いプラグスーツを身に着けたレイが、朝靄の残る湖畔の元へ先に来ていた。シンジは、その廃墟に佇む少女が振り返るのを見て、少し驚きを交えて言った。
「おはよう。どうしたの、こんな朝早く」
「碇君に会いたかった」
レイは穏やかな表情をたたえてシンジに言った。それは清々しい朝の空気のように純粋な響きだった。
「これ」
レイは胸に抱くように持っていた黒い音楽プレイヤーをシンジに差し出した。
「あ、ありがとう」
シンジはイヤホンの巻かれたS-DATを受け取った。ここでようやく、彼は複雑なわだかまりを越えることができた。
「あの、頼まれていた名前なんだけど――綾波は綾波だ。他に思いつかない」
シンジは実直な眼差しでレイに伝えた。レイはそれを素直に受け止めた。二人の手は互いにS-DATに触れている。
「ありがとう。名前、考えてくれて。それだけで嬉しい。ここじゃ生きられない。けど、ここが好き」
「綾波?」
会話の筋道が急に逸れたため、シンジは困惑した声音になる。
「好きって分かった。うれしい」
レイは達観しているかのような表情で、シンジを見据えている。
「綾波、どうしたの?」
レイがS-DATからそっと手を離して、シンジから距離を取った。直前、何かのカウントダウンめいたアラートがレイのプラグスーツから聞こえていた。
「稲刈り、やってみたかった」
レイが壁の方へ後ずさると、その足元から奇妙な光がせり上がって来るのが見えた。
「ツバメ、もっと抱っこしたかった」
レイのプラグスーツが赤い光に侵食される。それは燃焼した紙が灰に変わるような光景だった。彼女はそれを気にすることなく、淀みなく話し続ける。そして遂に、足元から発生した熱源が襟元にまで達した。
「好きな人と、ずっと一緒にいたかった」
シンジはその言葉を聞いて咄嗟に息を呑んだ。レイは純白のプラグスーツを身に纏った状態で、安らかな表情をたたえた。
「さよなら」
「綾波!」
別れの言葉を残して、レイは息を引き取るように瞳を閉じた。バランスを保てなくなった体が傾いた直後――爆発。
それは一瞬の出来事だった。シンジはS-DATを投げ出して彼女の残滓に駆け寄る。
※ ※ ※ ※ ※
ツバメが悪い虫の知らせを感じた時のように激しく泣き始めた。その時、深刻な表情で背中に我が子を背負いながら受話器を握っていたヒカリが、手に力を込めた。
「そう、そっくりさん、そっちに――どうしたの?」
※ ※ ※ ※ ※
レイは液状化すると同時に爆散した。
シンジが駆け寄った時には、L.C.L.に濡れたプラグスーツと、胸元に灯る十字の光だけが残されていた。
シンジは唖然とした表情で抜け殻となったプラグスーツを眺める。すると十字の光が、ふと光の輪に変わり、そして儚く無に消えた。
シンジは濡れてグシャグシャになったプラグスーツを掻き抱いて静かに泣いた。その傍らには、L.C.L.の飛沫を浴びて地面に転がるS-DATがあった。
※ ※ ※ ※ ※
重厚な貨物船が村の物流拠点に上陸していた。KREDITと書かれたコンテナを満載にした甲板の上から、クレーンが荷降ろしを行っている。船尾に設置されたテールランプからトラックが続々と下りてくる。そこに複数の作業員に混じって指示を飛ばすトウジの姿があった。
「あれがヴンダーか。でっかいなあ」
ケンスケはビデオカメラを第3村の上空に向けて、巨大な主翼を広げて浮かぶ戦艦を捉えていた。それを垂直方面へチルトしてファインダーを貨物船の横腹に向けると、ある一部分をズームインで拡大表示させた。
「離艦希望者が下船している。いよいよ決戦か」
船体に横付けにされた足場の上に、何十人もの人の姿があった。ミサトたちの艦隊が、これから有事に向かうための準備をしている光景だ。
ケンスケは数秒も経たないうちに映像を左へパンした。すると、フードを被って物憂げな表情をたたえる少女が被写体になった。
「あっ、やだ、撮らないでよ」
アスカはそれに気づいて顔を遮った。フラッシュを焚かれた有名人のように、口元を腕で隠して抗議の目を向ける。
「すまないが、今日だけは記録を残しておきたい」
ケンスケの神妙な声音を聞いて、アスカは一瞬のスキを見せた。
「そう、勝手にすれば」
腕を下ろしたものの、居心地を悪そうにして、アスカは顔を背けた。
その時、映像の外側から犬の鳴き声が入り込んだ。アスカが振り返る様子を、ファインダーも追う。
そこにいたのは、決意の表情で二人を見据えるシンジだった。その傍らには犬が寄り添っている。
アスカは斜に構えて、制服姿の少年を見定める。
「で、何しに来たの?」
シンジは答えない。ケンスケはカメラを下ろして、その真意を確かめる。
「碇、ここに残ってもいいんだぞ」
「ありがとう、ケンスケ。トウジたちにも、ありがとうって伝えておいて」
シンジはそう言うと、右手に持っていたS-DATを、強く握った。
「アスカ、僕も行くよ」
眉に力を入れて彼が宣言すると、アスカはそれをあっさりと受け入れて、スタンガンを発射した。
「そう。じゃあこれ、規則だから」