翌日。学校の校舎裏で、シンジは顔面を殴られて地面に転がった。
「うっ!」
「すまんなぁ、転校生。ワシはお前を殴らないかん。殴っとかな気が済まへんのや」
クラスメイトの鈴原トウジが、殴った拳をさすりながらシンジを見下ろす。
「悪いね、この間の騒ぎで、アイツの妹さん、怪我しちゃってさ。……ま、そういうことだから」
もう一人のクラスメイト、相田ケンスケが横から口を挟む。
「僕だって、乗りたくて乗ってるわけじゃないのに……」
その場を立ち去ろうとするトウジとケンスケ。シンジは感情を押し殺しながらも自分の本心を漏らす。シンジの言葉を聞いたトウジは、ケンスケの肩を押しのけてシンジの前に詰め寄ると、胸ぐらを掴んでもう一発顔面を殴る。
「どこが人に褒められることなんだろう。エヴァに乗ってたって言うだけで、なんで殴られるんだよ……」
シンジは殴られたまま土の上に寝転んで、空に流れる雲を見上げる。
※ ※ ※ ※ ※
「いい? シンジ君」
リツコは、再び初号機のコックピットに乗り込んだシンジに声を掛ける。
「はい」
シンジは下を向いたまま返事を返す。
「使徒には、必ずコアと呼ばれる部位があります。その破壊が、使徒を物理的に殲滅できる唯一の手段なの。ですからそこを狙い、目標をセンターに入れてスイッチ」
シミュレーションの画面に仮想の使徒が現れ、初号機がそれをハンドガンで破壊していく。
「これを的確に処理して。感覚で覚え込んで」
「はい……」
シンジは、リツコの指示に従って、操縦桿を操作する。
「結構。そのままインダクションモードの練習を続けて」
「はい」
リツコはコーヒーを飲みながら、コントロールルームの窓から見える様子を伺っていた。ケージの中には、無数のワイヤーに固定され宙吊りになったエヴァ初号機の脳核によって、仮想の戦闘試験が行われていた。
「しかし、よく乗る気になってくれましたね、シンジ君」
マヤがリツコの方を伺う。
「人の言うことにはおとなしく従う、それがあの子の処世術じゃないの?」とリツコは客観的に分析する。
その光景を後ろで見ていたミサトは、今回の件でシンジの心境に変化があったことに気づいていた。
「目標をセンターに入れてスイッチ……。目標をセンターに入れてスイッチ……。目標をセンターに入れてスイッチ……。目標をセンターに入れてスイッチ……」
虚ろな目をしたシンジは、指示された作業を淡々と続ける。
※ ※ ※ ※ ※
「そう言えばシンジ君、転校初日からクラスメイトに殴られているそうじゃない。パイロットのセキュリティ、大丈夫なの?」
地下へと進んでいく二人乗りのリフトに腰を掛けたリツコは、隣に座っているミサトに問いかけた。
「諜報部の監視システムに問題はないわ。大した怪我じゃないし。それに、プライベートには極力干渉しない方がいいの」
ミサトは手すりに片肘をついて足をぶらぶらと遊ばせながら言い訳をした。
「一緒に住んでるのに? 彼のメンテナンスもあなたの仕事でしょ?」
リツコはタバコを咥えながらミサトを責めた。
「だからこそよ。彼、思ったよりナイーブで難しい……」
「もう泣き言? 自分から引き取るって、大見得切ったんじゃない」
「うっさいわねぇ……」
ミサトは図星を突かれて少しだけ腹を立てる。
「そうね、確かにシンジ君て、どうも友達作るには不向きな性格かもしれないわね。ヤマアラシのジレンマって、知ってる?」
リツコは少しだけ話題を変えて質問した。
「ヤマアラシ? あの、トゲトゲの?」
「ヤマアラシの場合、相手に自分のぬくもりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど身体中のトゲでお互いを傷つけてしまう。人間にも同じことが言えるわ。今のシンジ君は、心のどこかで、その痛みにおびえて臆病になっているんでしょうね」
「ま、そのうち気づくわよ、大人になるってことは、近づいたり離れたりを繰り返して、お互いが余り傷つかずにすむ距離を見付け出す、ってことに」
ミサトはかつての自分の経験を乗せて、しみじみと語った。
「そうなるといいわね……」
リツコは、ミサトの言う言葉に含まれる意味も踏まえてそう答えた。
「しっかし、いつになったらこのB棟の設備改修予算、下りんのかしら」
ノロノロと進むリフトは、いつまでたっても目的地に到着しなかった。
「エヴァの維持と、清掃管理が最優先ですもの、もう無いんじゃない?」
リツコが諦めを理屈で上塗りして答える。ミサトはそれを感覚的な答えで返した。
「足が冷えてたまんないのにね」
※ ※ ※ ※ ※
シンジは、学校で孤立していた。エヴァに乗る自分と、学生の自分を両立できる居場所を見出せないまま時間が過ぎて行った。教室に入ると、クラスメイトが自分の噂話をしてこちらを見ているような気がした。レイが一人で窓の外を眺めている光景が目に入った。屋上で音楽を聴きながら空を眺めることが、唯一心安らぐ場所だった。
「非常召集、先、行くから」
右腕に包帯を巻き、右目に眼帯をしたままのレイがシンジの元へ現れる。シンジが起き上がる間もなく、レイは屋上の階段へ駆けていく。初めてレイの話し声を聞いたシンジは、起き上がってイヤホンを外すと、しばらくの間、呆然とレイの走り去った後を見ていた。
※ ※ ※ ※ ※
第1発令所では、新たな移動物体が海より接近していることを捕らえていた。
「移動物体を光学で捕捉」
シゲルが目標をモニターに捕らえる。
『E747も、対象を確認』
「分析パターン、青。間違いなく、第5の使徒よ」
モニターの情報を確認したリツコが、ミサトの方に振り返る。
「総員、第一種戦闘配置!」
ミサトの号令で主モニターの表示が切り替わる。
「了解、地対空迎激戦、用意!」
指示を受けたマコトが号令を掛ける。
『第3新東京市、戦闘形態に移行します』
『中央ブロック、収容開始』
街じゅうの高層ビルが、足元のロックを解除して地下に収納されていく。それと入れ替わるようにして、迎撃用兵器を搭載したポッドが次々と地上に準備されていく。
『中央ブロック、及び第1から第7管区までの収容完了』
ジオフロントの天井に収納されたビルが伸びていく。
「政府、及び関係各省への通達終了」
オペレーターの通知に続いてシゲルが報告を入れる。
『目標は、依然侵攻中。現在、対空迎撃システム稼働率48パーセント』
「非戦闘員及び民間人は?」
ミサトが最終的な確認を済ませる。
「すでに、退避完了との報告が入っています」
シゲルが状況を伝える。
※ ※ ※ ※ ※
『小中学生は各クラス、住民の方々は各ブロックごとにお集まりください。第7管区迷子センターは、第373市営団に設置してあります』
避難所に集まった住民の中に、トウジとケンスケの姿があった。ケンスケは、持っていたビデオカメラでテレビから情報を得ようとするが、〝非常事態宣言発令中〟の画面に切り替わったままでうんざりしていた。
――本日午後12時30分、日本国政府より特別非常事態宣言が発令されました。新しい情報が入り次第、お伝えいたします。
「うぅっ、まただ!」
ケンスケはビデオカメラに付いた小さなモニターをトウジに向けて見せる。
「また文字だけなんか?」
「報道管制って奴だよ。僕ら民間人には見せてくれないんだ、こんなビッグイベントなのに!」
※ ※ ※ ※ ※
その時、地上では国連軍の兵器が使徒に向かって一斉射撃を行っていた。
「税金の無駄遣いね」
リツコは全く効果がない行為に嫌味を言う。
「この世には弾を消費しとかないと困る人たちもいるのよ」
ミサトは、ひとまず関係者が気が済むまでだまってやらせることにしていた。
「日本政府から、エヴァンゲリオンの出動要請が来ています」
早速シゲルから報告が入る。
「うるさい奴らね、言われなくても出撃させるわよ」
腕を組んで立っていたミサトは、低い声で愚痴をこぼす。
『エントリー、スタートしました』
すでにスタンバイしていたシンジの元にオペレーターのアナウンスが聞こえる。
「L.C.L.転化」
マヤが準備を進める。
「発着ロック、解除」
リツコが指示を出す。
「(父さんも見てないのに、なんでまた乗ってるんだろう。……人に嫌われてまで……)」
シンジは学校であった出来事を思い返しながら、心の中で葛藤と戦っていた。
※ ※ ※ ※ ※
地上の衝撃が、地下の避難所にも轟音として届いていた。
「ねえ、ちょっと二人で話があるんだけど」
ケンスケは落ち着かない様子でトウジの方を見る。
「なんや?」
「ちょっと、ね」
「しゃあないなぁ……」
トウジは友人の頼みを聞き入れる。
「委員長ぉ!」
クラスメイトの学級委員、ヒカリの前にやってきた二人は彼女に声を掛ける。
「なに?」
女友達と談笑していたヒカリは会話を止めて振り返る。
「ワシら二人、便所や!」
「もう、ちゃんとすませときなさいよ!」
ヒカリは、しょうがないわねといった様子で、トウジのぶっきらぼうな態度に眉をひそめる。
トイレに移動したトウジとケンスケは、男子用の便器に向かって用を足しながら話をする。
「で、なんや?」
「死ぬまでに、一度だけでも見たいんだよ」
「上のドンパチか?」
「本物なんだよ! 今度いつまた、敵が来てくれるかもわかんないし……」
「ケンスケ、お前なぁ……」
予想していた事とは言え、トウジはケンスケが本当に行こうとしているのを見て呆れ返る。
「このときを逃しては、あるいは永久にっ! なあ、頼むよ。ロック外すの手伝ってくれ」
ケンスケは一歩も引こうとしなかった。
「はあ、しゃあないなぁ。……お前ホンマ、自分の欲望に素直なやっちゃなぁ!」
「へへっ!」
トウジの言葉を聞いて、ケンスケは満面の笑みで答える。
※ ※ ※ ※ ※
「シンジ君、出撃。いいわね?」
エントリープラグ内で浮かない顔をするシンジの元へ、ミサトからの通信が入る。
「はい……」
「よくって? 敵A・T・フィールドを中和しつつ、ガトリングの一斉射。練習通り、大丈夫ね」
リツコは、シミュレーションで教えた通りやればいいと指示を出す。
「はい」
「発進!」
ミサトの号令で、初号機は地下発射台から打ち上げられた。
地上に出たケンスケとトウジは、山の階段を上って、山頂にある神社の広場へと駆けて行く。
「凄い、これぞ苦労の甲斐もあったというもの! おっ! 待ってましたぁ!」
使徒の姿をビデオカメラのファインダーに納めながらケンスケは興奮した様子を見せる。すると、丁度いいタイミングでエヴァ初号機が地上のゲートに現れた。
「……出た!」
『A・T・フィールドを展開』
エントリープラグ内のコックピットにマヤの音声が流れる。
「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……」
シンジは、練習したことを思い出して呼吸を整える。
「作戦通り。いいわね、シンジ君?」
ミサトが最終確認を取る。
「はいっ」
シンジは、射出口の物陰から身を翻して使徒の正面に出ると、ガドリング砲を連射させる。使徒は、初号機の攻撃を浴びて炎に包まれた。シンジは一身にトリガーを握り締める。
「馬鹿、爆煙で敵が見えない!」
ミサトが主モニターの状況を見て叫ぶ。巨大な薬莢が駐車している車を押しつぶす。大量の弾を撃ちつくした初号機が、ガドリングの回転を止める。
「はあ、はあっ……」
興奮して肩で息を切らすシンジ。しかし、隙を見せた初号機に向かって、使徒の放つ光の鞭が放たれた。シンジは、強烈な一撃に怯んで身を屈める。使徒の放った攻撃で建物が竹を割ったように切れて倒壊する。
「なんや、もうやられとるでぇ?」
「大丈夫!」
トウジとケンスケが遠くから状況を見守る。
「予備のライフルを出すわ、受け取って!」
ミサトの合図で、新たなライフルが格納されたケージが、地上から射出される。
「……シンジ君? シンジ君!?」
シンジは手が震えて身動きが取れなくなっていた。ミサトは、モニターに移る初号機に向かって必死に声を掛ける。
「あっちゃーっ、やっぱ殴られたのが効いてるのかなあ?」
「う、うるさいわっ!」
反撃に出ようとしない初号機を見てケンスケがトウジをなじる。
「はぁ、はぁっ!」
シンジは目の前に迫る巨大な使徒の姿を見て恐怖する。使徒は昆虫のような硬い殻に覆われた体を起こして、十本の足をグネグネと動かしながら近づいて来る。そして、素早い光の鞭を振りかざし、初号機を追い詰めて行く。シンジは、防戦一方で、なんとか使徒の攻撃を交わすことしか出来ない。使徒は、切れ味の鋭い攻撃で次々と建物を切断していく。初号機は足を取られて建物に激突する。そして、使徒の攻撃で外部電源のコードが切断されてしまう。
「アンビリカルケーブル、断線!」
シゲルが状況を伝える。
「エヴァ、内蔵電源に切り替わりました!」
マコトが初号機の状態を報告する。
「活動限界まで、あと4分53秒!」
続けてマヤが詳細を伝える。
「うわっ!」
窮地に追い込まれたシンジが声を上げる。使徒は逃げ遅れた初号機の足を取ると、空高くに放り投げた。宙を舞った初号機は、ケンスケとトウジの居る山の方へ飛来する。
「こっちに来る!」
「うわぁぁぁ!」
二人が逃げる間もなく、大の字になった巨体が音を立てて山肌へ張り付く。
「シンジ君、大丈夫、シンジ君!? ……ダメージは?」
ミサトがシンジに声を掛ける。
「問題なし。行けます!」
マコトがパイロットの状態を告げる。
「うぅっ、うっ!」
シンジは、山に衝突した衝撃に耐えて!?か起き上がった。しかし、ふと初号機の手元に目を向けた時に、二人のクラスメイトが震え上がっている姿を目撃してしまう。
「シンジ君のクラスメイト!」
モニターに映し出された二人のプロフィールを見て、ミサトは驚きの声を上げる。
「なぜこんな所に?」
リツコは不測の事態を危惧する。使徒は空中を飛行して山に倒れた初号機に近づくと、容赦なく攻撃を開始する。
「うぅっ!」
初号機は、光の鞭を手で受け止めて防御に徹する。シンジは、手に伝わる激痛に耐える。
「なんで戦わんのや……?」
「僕らがここにいるから……自由に動けないんだ」
トウジとケンスケは、腰が引けた状態で身動きが取れない。
「初号機、活動限界まで、あと3分28秒!」
マヤが残り時間を報告する。
『接着面融解、損傷率58パーセント』
「……シンジ君、そこの二人を操縦席へ! 二人を回収した後、一時退却。出直すわよ!」
残された時間を考えて、ミサトは作戦を変更して指示を出す。
「そこの二人、乗って! 早く!」
初号機の背中からエントリープラグが射出されハッチが開く。初号機の背中から突き出た棒状のそれを見上げているトウジとケンスケに、ミサトが外部音声で声を掛ける。プラグ内に乗り込んだ二人は、中がL.C.L.で満たされていることに驚く。
「うっ、なんや、水やないか!」
「カメラが、カメラがっ!」
『エントリー、スタート』
「うっ、くぅっ!」
コックピットの映像が戻り、目の前に使徒の姿が映し出される。二人は使徒と戦うシンジの姿を目の当たりにして口を塞ぐ。シンジは手で掴んでいた使徒の触手部分を引っ張り、その反動で空中の使徒を遠くへ押し戻すことに成功する。
「今よっ、後退して! 回収ルートは34番。山の東側に後退して!」
ミサトは、一瞬できた隙を付いて逃げるように指示を出す。初号機の手は高熱によって装甲を失っていた。しかし、シンジはミサトの指示を聞かずに黙って立っていた。
「転校生、逃げろ言うとるで! 転校生!?」
動こうとしないシンジを見て、トウジが声を掛ける。
「逃げちゃだめだ……逃げちゃだめだ……逃げちゃだめだっ!」
シンジは自分を奮い立たせるように繰り返すと、使徒のいる方を睨みつけた。初号機の活動限界が1分を切る。シンジは初号機の肩に装備されたラックを開くと、プログレッシブ・ナイフを装備させた。
「プログレッシブ・ナイフ、装備!」
マコトが初号機のステータスを報告する。
「シンジ君、命令を聞きなさい! 退却よ! シンジ君っ!」
ミサトは、返事をしないシンジに向かって口調を強める。
「うわあぁぁぁーーー!」
シンジは突然叫ぶと、山の斜面を滑り降りて使徒へ向かって突っ込んでいく。
「あの馬鹿っ……」
ミサトは腕を組んで顔をしかめる。
使徒は正面から向かってくる初号機を狙って、光の触手を初号機の体に突き刺すようにして攻撃する。左脇腹を貫通し、シンジは激痛に足を止める。しかし、シンジはプログ・ナイフに両手を添えると、使徒のコア目掛けて一気に振りかざす。
「うわぁぁぁっ!」
初号機の一刀が、使徒のコアに深く食い込んだ。傷口は火花を散らしてダメージを与えていく。初号機の腹に刺さった使徒の触手がうごめいている。シンジは叫び続け、両手に力を込める。
「初号機、活動限界まで、あと30秒! 28、27、26、25、24、23、22……」
マヤがモニターに表示されたカウンターを読み上げる。シンジは、残る精力を操縦桿に込める。
「13,12,11、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1……」
初号機は、火花を浴びながら、使徒に食らわした攻撃の一転に体重を乗せる。マヤの読み上げる活動限界が来たと同時に、使徒のコアが破裂して、大量の血が初号機に降り注いだ。
「エヴァ初号機、活動停止」
初号機の電源が落ちる。エントリープラグの中が暗闇に変わる。モニターに並んだゼロの数字を見てマヤが報告を入れる。
「目標は完全に形象崩壊しました」
シゲルが使徒の状況を伝える。ミサトは腕を組みながら無言で立ち、モニターを睨み続けていた。
「はっ、はっ、はっ」
エントリープラグ内では、操縦桿を握ったまま泣いているシンジの姿があった。それを見て、トウジは何も言葉にすることができずにいた。
※ ※ ※ ※ ※
使徒を殲滅した後、第3新東京市に雨が降り始める。空は厚い雲で覆われ、辺りは薄暗くどんよりとした空気に包まれた。戦いから帰還したシンジは、シャワールームの更衣室でミサトに尋問を受けていた。シンジは、ベンチに座ってドリンクのカップを見つめていた。ミサトは、シンジを見下ろすようにして、今回の行動について問いただす。
「どうして私の命令を無視したの?」
「すいません」
「あなたの作戦責任者は私でしょ?」
「はい」
「あなたは私の命令に従う義務があるの。分かるわね?」
「はい」
「今後、こういうことの無いように」
「……はい」
シンジは、下を向いたまま適当に聞き流すようにして空返事を繰り返す。まるで自分は直接関係がないというような態度を見て、ミサトは声を強める。
「あんた、本当に分かってんでしょうね?」
「ええ、分かってますよミサトさん。……もう良いじゃないですか、勝ったんだから。言われれば乗りますよ。乗ればいいんでしょ」
シンジは、投げやりな態度でストローに口をつけた。それを見たミサトは、シンジの襟元を掴んで無理やり立たせる。そして、何かを言おうとするも、シンジの諦めた表情を見てそれを止める。シンジはされるがままに立たされ、ミサトの顔を見ようとはしなかった。
「……もういいわ、先に帰って、休んでなさい」
そう言われると、シンジは力なく出口の方へ向かう。シンジが出て行った扉が閉まると、ミサトはやり切れない気持ちを感じて、自分の頬を打つ。
※ ※ ※ ※ ※
『次は、長尾峠、長尾峠です。お出口、右側に変わります』
シンジは音楽プレイヤー以外、何も持たないまま、宛もなく電車に乗り続けていた。車内にいた乗客は時間が経つごとに減っていった。シンジは、行き着いた先で音楽を聴きながら雑踏を歩き続けた。夜の繁華街は、ネオンの光に満たされていた。シンジは、雑居ビルの谷間に寝床を見つけると、ダンボールに包まって一夜を過ごすことにする。
ミサトは、シンジが家に帰っていない事を知って今回のことを思い返していた。眠れないまま、夜中にシンジの部屋の様子を伺いに行く。
「……帰らないつもりね。あのバカ……」
翌日、人里を離れて丘の上から第3新東京市を眺めるシンジの姿があった。
学校では、いつも通り授業が始まっていた。
「碇。碇シンジ。……なんだ、転入早々、もう休みか」
トウジとケンスケは、シンジの机を見て気まずい顔をする。レイは、机に肘をついて窓の外を眺めている。
「まあいい、先日のテストを返す」
先生の嬉しくない発表に、クラス一同が声を上げる。
「ええーっ!」
その日の夜、山を越えてトンネルの出口まで辿りついたシンジは足を止めた。シンジの目の前に伸びていた道路は、トンネルの出口で意図的に分断されていた。その時、シンジは背後に気配を感じて振り返る。そして、自分がもう逃れられないものに介入してしまったことを悟る。
「……いいですよ、もう。ミサトさんの所に連れてってくださいっ……!」
シンジがそう言うと、トンネルの上にスポットライトの光が灯った。黒服の諜報部員がシンジの方を見て何かを話しているのが見える。シンジは、ライトの光が眩しくて片目をつむる。
※ ※ ※ ※ ※
「歩いてまわって気は済んだ? 碇シンジ君」
NERV本部に連れ戻されたシンジは、暗い拘留室に隔離されていた。頃合を見て、ミサトはシンジの元を訪れる。
「別に、どうでもよくなりました。何もかも。僕に自由なんて無いんだ……。どうせ僕はエヴァに乗るしかないんですよね。そのためだけに父さんに呼ばれたんだから。いいですよ、乗りますよ。それでみんながいいんだったら、僕はいいですよ」
「みんなって、あなたはどうなの」
相変わらず自分の意思を見せようとしないシンジの言葉を聞いて、ミサトは苛立ちを募らせる。
「僕には無理だってことはわかってるんですよ。みんなも分かってるんだきっと。それでも怪我した綾波や、ミサトさんや父さんや……」
「いい加減にしなさい! 人のことなんか関係ないでしょ!? エヴァのパイロットを続けるかどうか、あなた自身が決めなさい。嫌ならここを出て行ってもいい。全てあなたの自由よ。好きにすればいいわ」
ミサトは、そう言って拘留室のドアから出て行ってしまう。
司令室では、ゲンドウと冬月が、がらんどうとした空間の中央に設置された机に向かっていた。
「結局、お前の息子は予定通りの行動を取とったな」
冬月は、詰め将棋の本を片手に、ゲンドウに話しかけながら桂馬を指した。
「ああ。次はもう少しレイに接近させる。計画に変更は無い」
ゲンドウは、肘をついて顔の前で手を組みながら、落ち着き払った態度で答える。
「14年前からのシナリオ。運命を仕組まれた、子供達か。過酷過ぎるな」
EVANGELION
:1.01
YOU ARE (NOT) ALONE.