『シン・エヴァンゲリオン劇場版 :|| / EVANGELION: 3.0+1.0 THRICE UPON A TIME』のストーリーとセリフ書き起こし

シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:FINAL タイトル

「父さんは何を望むの?」

 シンジはゲンドウの世界を大空から覗き込む。ゲンドウは仰向けの状態で赤い海に身を任せていた。

「お前が選ばなかったA・T・フィールドの存在しない、全てが等しく単一な人類の心の世界。他人との差異がなく、貧富も差別も争いも虐待も苦痛も悲しみもない、浄化された魂だけの世界。そして、ユイと私が再び会える安らぎの世界だ」

 

 ――ユイ! ユイ!

 ――ユイ! ユイ! ユイ!

 ――ユイ、どこだ! どこだ、ユイ!

「ここにいるのは全てレイか? どこだ? どこなんだ? ユイ!」

 ゲンドウは記憶の断片を探し回る。あの日いなくなってしまった最愛の人を、ずっと捜していたのだ。

 彼に微笑みかける女性は、彼の望む人物ではなかった。悲痛な声を上げるゲンドウは、花を手向けた墓の前に行き着く。

「父さん、もうやめようよ」

 シンジは母親が眠るとされる形だけの墓の前で父親に言った。

「なぜだ? なぜシンジがここにいる?」

 ゲンドウは背中にかけられた声に我を乱す。彼は息子に顔を向けることができなかった。じっと佇む父親の背中に、シンジが語りかける。

「父さんのことが知りたいから。寂しくても、いつも父さんに近づかないようにしていた。嫌われているのが、はっきりするのが怖かったんだ。でも、今は知りたい。父さんのことを」

 シンジが一歩踏み出した。ゲンドウの世界が霞がかった闇に変わる。足音が近づいてくるため、ゲンドウは体ごと振り返った。すると、シンジの接近を拒むように、強力な不可侵領域が出現した。

「A・T・フィールド? 人を捨てた、この私に?」

 七色に輝く光の壁が何重にも重なり、両者を隔てる。ゲンドウは、それを空虚な空洞となった単眼で見据えた。

「まさか、シンジを恐れているのか、この私が」

 するとシンジが、慎重な手付きで黒色の携帯音楽プレイヤーを彼に差し出した。

「これは捨てるんじゃなくて、渡すものだったんだね。父さんに」

 夕焼けに染まる車窓が左に流れる。踏切の音がドップラー効果を含んで離れていく。

 ゲンドウはシンジと向かい合い、列車に揺られていた。黄金色の散乱光が、車内に光芒を投げかけている。

「僕と同じだったんだ。父さんも」

 シンジが言うと、ゲンドウはゆっくりと内面を語り始めた。

「ああ、そうだ。ヘッドフォンが外界と私を断ち切ってくれる。無関心を装い、他人のノイズから私を守ってくれた。だが、ユイと出会い、私には必要がなくなった」

 彼の脳裏に、ある人の面影が揺れる。

 そして彼女が、病院で言った言葉が思い出される。

 ――名前、決めてくれた?

 ――男だったらシンジ。女だったらレイと名付ける。

 ゲンドウは、大きく膨らんだ彼女の腹部に触れる。

 ――シンジ。レイ。うふっ。

 彼女は愛おしそうに笑った。

 そして産声が上がった。

「親の愛情を知らない私が親になる。やはり、この世界は不安定で不完全で理不尽だ。世の中は他人の言葉どおりに受け取っても上手くいかない。その時々で人は違うことを言う。どっちが本当で、どっちに合わせていいのか分からない。多分どちらも、その人には本当なんだろう。その時の気持ちが違うだけだ」

 ゲンドウは激動する社会に揉まれながら漂流する気分を味わっていた。形式的な格好で、形式的な振る舞いをする。それがいつから始まったことなのか、考え始める。

「私は、人とのつながりを恐れた。人であふれる世界を嫌った。幼い頃から孤独が日常だった。だから寂しいと感じることもない。だが、世間にはそれをよしとしない人間もいる」

 大人の影がちらつく。

「他の家に行くのが苦手だった。興味のないクラスメイトや親戚の家に連れていかれて、その生活の情報や実行を、押し付けられるのが嫌だった。他人といるのが苦痛だった。私は常に独りでいたかったのだ」

 勉強机に向かっていた時分が蘇る。それは誰もが通過する幼少時代の光景だ。

「子供の頃から、好きなものが二つあった。一つは知識だ。一方的に得るだけの知識は、私の心の飢えを満たしてくれた。知識に気遣いは不要だ。時間のある限り、私の中に好きなだけ与えることができたからだ」

 場面がめくるめく展開を見せる。記憶は時間も空間も超越して、今この瞬間に再生することができた。

「もう一つはピアノだ。調律された音は、鍵盤の正しい音を返してくれる。そこに嘘はない。裏切りも失望もない。私を粛々と音の流れに変換してくれる。そのシステムが好きだった。独りが好きだった。私も他人も誰も傷つくことがない。独りが楽だった」

 大学時代の記憶。ゲンドウの肩を叩き、振り向かせた人物がいた。それを媒介して、長い付き合いになるであろう邂逅があった。

「だが、ユイと出会い、私は生きていることが楽しいと感じることを知った。ユイだけが、ありのままの私を受け入れてくれた」

 遠くから見ている存在だった。それがある日を堺に距離を縮めた。そして、肌を重ねた。

「ユイを失った時、私は私一人で生きる自信がなくなっていた。初めて孤独の苦しさを知った。ユイを失うことに耐えることができなかった。ただ、ユイの胸で泣きたかった。ただ、ユイのそばにいることで自分を変えたかった。ただ、その願いを叶えたかった」

 人類補完計画に乗り出した背景。ゲンドウは自分の半生を振り返り、両手で顔を覆った。未だその願いは叶えられていないままだ。その絶対的な現実が、彼の眼前に横たわっていた。

「私は私の弱さゆえに、ユイに会えないのか。シンジ」

「その弱さを認めないからだと思うよ」

 幼少の姿になったシンジが答えた。あどけない表情が核心を突く言葉よりも痛い。

「ずっと分かっていたんだろう? 父さん」

 プラグスーツ姿のシンジが、学生時代の父親に声をかける。初心に戻ろうとしていたゲンドウの心が、ふいに遠雷のような爆発音に乱された。

「何だ?」

 ゲンドウは今の姿に戻り、顔を上げた。

「きっとミサトさんだよ」

 シンジは車窓の向こうに険しい目を向けた。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 ミサトは巨大な綾波レイの両手に進行を阻まれていた。ヴンダーは壁のようにそびえる手に双頭をめり込ませていた。論理的には比較にならない競り合いだった。レイは大仏、ヴンダーは小鳥にも満たない。だが、ミサトは諦めない。

「まだまだあっ!」

 最大出力で噴射されたロケットが赤い尾を引く。腕首から上だけで形成されたレイの両手が、後方に押し込まれる。機体先端部の装甲が砕けるほどの重圧が、艦全体を揺らしていた。そこへダメ押しとばかりに、ミサトは追加の動力源の点火レバーを回した。

 動物の背骨を思わせる巨大な鎖が三本束ねられている。そこに回転が加わり、張力を増して三重螺旋を描いた。竜骨に支えられた繭状の助材の内部で、初号機に代わって新たな動力となった鎖が、鮮やかに発光した。

「馬鹿な……聖なる槍は全て失っている。世界を書き換える新たな槍は、ありえないはずだ」

 ゲンドウは上方で起こっている出来事を車窓から見上げた。レイの眼球を裏側から覗き見たような光景に、変化が生じていた。

「神が与えた希望の槍カシウスと絶望の槍ロンギヌス。それを失っても、世界をありのままに戻したいという意志の力で作り上げた槍――ガイウス。いえ、ヴィレの槍。知恵と意志を持つ人類は、神の手助けなしにここまで来てるよ。ユイさん」

 ヴンダーの最後尾に掴まる改8号機の中で、マリが言った。彼女の目には槍状に変化したヴンダーの船尾が映っていた。

 綾波の顔を守ろうとしている掌が閉じかかった。その直前に大出力で推進を続けるヴンダーが、甲を突き破って裏手に出た。

 光の矢のように直進するヴンダーがレイの眼前に迫った。レイの巨像は、かすかに驚きを示すが、瞳は閉じなかった。

 ヴンダーが巨大な眼球に接触。直進運動は止まったが、眼球の表面に波紋が広がった。そして当然、ヴンダーにも相応のダメージが跳ね返ったはずだった。

「取り付いた!」

 ミサトが叫んだ。ショート寸前のブリッジで重要な役目を相手に託す。

「マリ! シンジ君を」

「あたぼうよ! 必ず連れて帰る」

 マリは待ち構えていたかのように身を乗り出した。

「頼むわ!」

 ミサトは渾身の力で竜骨から〝槍〟を切り離すスイッチを叩いた。安全カバーの透明なガラスが砕け散る。

 ガイウスの槍に完成された物が、空中に射出された。それに乗って、改8号機が巨大な綾波レイの眼球に突入した。

「ユイに会えぬまま、新たな槍がここに届くか。残念だ」

 裏宇宙の結界を突き破り、ガイウスの槍が天空を舞い降りる。ゲンドウは、その異物を認めて双眸を閉じた。

 ヴンダーは燃料を使い果たして進撃の火を消した。遠い場所で打ち上げ花火が上がる時のような、物悲しい音が聞こえた。ミサトは憂いの表情をたたえて虚空を見上げた。

「お母さん、これしかあなたにできなかった。ごめんね、リョウジ」

 彼女の脳裏に流れたのは、二人の少年が並んで写真に写る姿。その瞬間、機械に囲まれているブリッジが爆炎に包まれた。

 ヴンダーとミサトは、その役目を遂げて鮮やかな光とともに散った。シンジは祈りの姿勢でその終焉に思いを馳せていた。

「ありがとう、ミサトさん」

 シンジが握っていた拳を開くと、ガイウスの槍がそこに届いていた。回転する小さな槍を両手で包み、もう一度額に寄せる。

「他人の死と想いを受け取れるとは、大人になったな、シンジ」

 ゲンドウは、息子の敬虔な仕草に目を見張った。

「ユイを再構成するためのマテリアルとして、シンジが必要か否なのか、最後まで分からなかった。願いを叶えるには、報いが伴う。子供は私への罰だと感じていた。子供に会わない、関わらないことが、私の贖罪だと思い込んでいた。その方が子供のためにもなると信じていた」

 ゲンドウは自分のやってきた行為を辿る。陰鬱な表情を見せる息子。父親の背中を見て泣きじゃくる子供。駅の改札を通り、親類の元へ引き渡そうとしたシンジを、跪いて抱き寄せる。

「すまなかった、シンジ」

 ゲンドウは終わりのない無限回廊からの出口を見つけた。唐突に、彼の音楽が止まった。

「そうか、そこにいたのか――ユイ」

 ゲンドウはSDATを持って列車から降りた。うなだれた背中が自動ドアで仕切られると、列車は次の駅へ向かって発進した。

 

「碇ゲンドウ、彼が今回の補完の中心、円環の元だ。ここからは僕が引き継ぐよ、碇シンジ君。君は何を望むんだい?」

 そう言ったのは、渚カヲルだった。彼は学生服を着て長椅子に腰掛け、車輌の最前部に佇むプラグスーツ姿の少年を見ていた。

「僕はいいんだ。辛くても大丈夫だと思う。僕よりも、アスカやみんなを助けたい」

 シンジの言葉を聞いて、カヲルは鍵盤を叩いた。

「そうだった、君はイマジナリーではなくリアリティーの中で、既に立ち直っていたんだね」

 旧NERVネルフの跡地。ピアノのある広場で、シンジは決意を表明する。

「うん。父さんのやったことは、僕が落とし前をつける。アスカ――」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 式波シリーズは培養装置の中ではっと目を覚ました。ガラスの円柱が大規模なノードを構成している。オレンジ色の光の灯る実験施設だった。

「パパは分からない。ママもいない。だから、誰も要らないのよ、アスカ」

 アスカは、あの日と同じようにベッドに横たわり、パペットに話しかける。薄暗い部屋には家庭の温もりはなかった。彼女は冷たい現実社会に、体一つで乗り込まなければならなかった。

「誰もいなくていいようにする。そうしないと辛いから。生きているのが苦しいから」

 彼女のコピーが選別を受けて、続々と脱落していく。アスカは膝を抱えて耐えた。

「エヴァに乗る」

 歯を食いしばって、訓練を積み、実験に耐える。彼女は自分の存在価値を実績で証明し続ける。

「人に嫌われても、悪口を言われても、エヴァに乗れれば関係ない。他に私の価値なんてないもの」

 アスカはずっと一人で行動してきた。それが必要でも、望んでそうしたわけではない。それは自分でも分かっていた。

「誰も必要としない、強い体と心を持つの。だから、私を褒めて! 私を認めて! 私に居場所を与えて!」

 雪の降る街で白い息を吐いた。少女時代のアスカは、見知らぬ家族が幸せそうに笑っている光景を見た。駄々をこねて母親に抱かれたのはシンジだった。若かりし日のゲンドウとユイに守られている。その光景は、自分では絶対に手に入れることのできないものだ。

 アスカは絶対的な自尊心を持って大人の世界で生き抜こうとした。だが、自分が何になろうとしていたのか、何をもって誇りとするのか、分からなくなっていた。

「ほんとは寂しい。ほんとはただ、頭を撫でて欲しかっただけなの」

 倒木の上で泣きじゃくる少女時代のアスカに、あのパペットと同じ格好をした着ぐるみが近づいた。赤い頭巾と赤いワンピースを着た〝ASUKA〟の人形だ。彼女の隣に座った着ぐるみは、幼い体で手袋をはめたまま涙を拭っているアスカの頭を撫でた。

 着ぐるみが、おもむろに被り物を外した。そこから素顔を晒したのは、相田ケンスケだった。

「いいんだ。アスカはアスカだ。それだけで十分さ」

 ケンスケはありのままの容姿で言った。少女時代のアスカは胸打たれたかのように、涙に濡れた瞳を見開いた。

 

 覚醒したのは、赤い浜辺だった。

 アスカは大人の姿で、格子状の傷をたたえた月の下で横たわっていた。

「私、寝てた?」

 アスカは夜空に向かって呟いた。そして傍らに座っているシンジに気づいた。

「バカシンジ」

「よかった。また会えて。これだけは伝えておきたかったんだ」

 シンジは膝を抱えて、優しい眼差しでアスカを見下ろしていた。落ち着いた声で言う。

「ありがとう。僕を好きだと言ってくれて。僕も、アスカが好きだったよ」

「――」

 アスカは身をよじって、シンジに背中を向けた。大人になった体に当時のプラグスーツは窮屈だった。

「さよならアスカ。ケンスケによろしく」

 シンジの明るい声が背中に響く。その瞬間、マリが目の前に表れて、言うのだった。

「姫、お達者で」

 

「はっ」

 13号機に取り込まれていたアスカは、コックピットの上で目覚めた。もう思春期の身体は必要なかった。彼女を乗せたエントリープラグが、勢いよく場外に射出された。

 

「行っちゃったね。シンジ君、寂しくないかい?」

 その光景を見送るカヲルが言った。シンジはピアノの足元で、膝を抱えて座っていた。

「うん、大丈夫。今度は君の番だ。カヲル君」

 夕日に染まる湖畔に、ひぐらしの鳴き声が木霊する。カヲルは、エヴァの朽ち果てた像の上で、湖面に揺らぐ光を見ていた。

「思い出したよ。何度もここに来て君と会ってる」

 シンジは水のほとりに立って、同じように日の陰りを見ていた。

「生命の書に名を連ねているからね。何度でも会うさ。僕は君だ。僕も君と同じなんだ。だから君に惹かれた。幸せにしたかったんだ」

 単なる象徴となった翼の折れた石像。カヲルは、その半身が水に浸る様を、波打ち際から眺める。

「そう、カヲル君は父さんと似てるんだ。だから同じエヴァに乗っていたんだね」

 シンジはカヲルと横に並んで、仰向けの状態で夜空を眺める。そこはNERVネルフの旧施設。ピアノのある場所。そして彼と一緒に音楽を奏でたところ。

「なんだかいつもと違うね、シンジ君。泣かないのかい?」

「うん。涙で救えるのは自分だけだ。僕が泣いても、他の誰も救えない。だから、もう泣かないよ」

 シンジが顔を横に振ると、カヲルが上体を起こしてこちらを見ていた。

「そうか、君はもう成長してたんだった。少し寂しいけど、それもいいね」

「カヲル君、第13号機、君のエヴァも処分しようと思う」

 シンジは起き上がり、流れ行く時間と景色に思いを馳せる。そして高い位置の橋架でカヲルと向き合った。

「うん。エヴァを捨てるか――。すまない。僕は君の幸せを誤解していた」

 カヲルが感慨深げな声で答えると、加持リョウジが振り返った。

「ええ、それはあなたの幸せだったんです。渚司令」

 カヲルの記憶の中で、加持が語り掛ける。

「あなたはシンジ君を幸せにしたいんじゃない。それにより、あなたが幸せになりたかったんです」

 様々な場面が蘇り、本人すらも自覚していなかった感情が、そこに持ち上がる。

「僕の存在を消せるのは真空崩壊だけだ。だから僕は、定められた円環の物語の中で、演じることを永遠に繰り返さなければならない」

 月面のネルフ第7支部・発掘用仮設基地で、カヲルはゼーレの仮面をつけた白肌の巨人を見下ろしていた。すると、横から小さな手が差し伸べられて、きらきらと輝く海辺に変わった。

「仲良くなるおまじないだよ」

 幼少の無垢な声でシンジが言った。カヲルは涙を流して、その手を握り返した。

「相補性のある世界を望む。変わらなな、シンジ君は」

「だからこそ、あなたが彼を選び、生命の書に名を書き連ねた」

 加持が言った。カヲルは司令室の執務机に座って、彼の佇まいを見ていた。

「ありがとう。リョウちゃんにも救われたよ」

「光栄です。渚司令」

「嫌だなリョウちゃん。そろそろカヲルって呼んでよ」

 慇懃な態度を崩さない加持にカヲルが言った。しかし加持はいたずらっぽく笑い、その提案をはぐらかした。

「ふっ、まだお預けです。渚司令」

 青く浄化の進んだ海と赤い海を隔てる堤防の上だった。二人は海洋研究所の施設で海鳥の鳴き声を耳にしている。

「渚とは海の陸の狭間。第一の使徒であり、第十三の使徒となる人類の狭間を紡ぐ、あなたらしい名前だ。あなたは十分に使命を果たした。あとは、彼に引き継いでもらってもいいでしょう」

 朽ち果てた大地に来た。それが青々とした景色に変わった。

「葛城と一緒に老後は畑仕事でもどうです?」

 カヲルは丘の風を浴びて、清々しい景色の中を歩く。

「そうだね。それもいいね」

 そして二人は里山の風光の中へと去って行くのだった。

 シャッターが下りて、シンジが振り返る。そこに立っていたのは、つぎはぎだらけの赤ん坊の人形を抱いた、白いプラグスーツに身を包んだ髪の長いレイだった。

「残っているのは君だけだ、綾波」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

「私はここでいい」

 レイとシンジは、舞台装置を撤収した後の撮影スタジオの中にいた。ベニヤ板の足場やパイプ椅子や長机が残されているが、がらんどうとした倉庫の中には二人だけしかいなかった。

「もう一人の君は、ここじゃない居場所を見つけた。アスカも戻ったら、新しい居場所に気づくと思う」

 シンジの世界を彩っていた小道具や衣装が、片付けられ保管されるべき場所に収まっている。撮影機材やストロボが、その過程で進化した創意工夫の詰まった状態で置かれている。

 レイは、そうした現場で行われてきた物事を名残惜しむように、静かに言った。

「エヴァに乗らない幸せ。碇君にそうして欲しかった」

「うん。だから、ここじゃない君の生き方もあるよ」

 シンジは一言一言、相手に伝える誠意を込めて、丁寧に言った。

「そう?」

「そうだ。僕もエヴァに乗らない生き方を選ぶよ。時間も世界も戻さない。ただ、〝エヴァがなくてもいい世界〟に書き換えるだけだ。新しい、人が生きていける世界に」

 二人の背景に走馬灯のように流れる長大な物語の断片が映し出された。

 ――新世紀。

 レイは、シンジの意図を汲んで、声に出す。

「世界の新たな創生、ネオン・ジェネシス」

「うん。それに、あとでマリさんが迎えに来る。だから、安心して」

「そう。分かった」

 レイは元の姿に戻って微笑みかけた。

「碇君、ありがとう」

 レイは右手を差し出し、シンジと握り合った。そしてその場から去った。シンジは完全に撤収を終えたスタジオの中で最後の一人になった。

「やってみるよ。綾波」

 そして、皆から受け継いだガイウスの槍を握りしめ、決意を固めた。

「ネオン・ジェネシス」

 その発言を合図に輝きに包まれたシンジは、最後のエヴァ搭乗に挑んだ。

 四肢を弛緩させた初号機に、ガイウスの槍を向けた。ガイウスの槍はその形状を変化させて、銀色の中心軸に真紅と鼠色の帯を巻いた、鋭い直線になった。

 シンジは、その切っ先を初号機の喉元に近づけて、最後の儀式を行おうとする。だが、彼の生み出してきた創造物を自ら封殺する行為を、ある人物の手が直前で遮った。

 

 エヴァの外観とコックピットが消失し、シンジは誰かに後ろから抱きとめられる格好で、赤い海の水面下にいた。槍が胸元に迫っている。はっと息を飲んで目を開けたシンジは、後ろを振り返ろうとする。

「誰?」

 その人物は槍からシンジを遠ざけるように背中を押した。シンジは水面に浮上するあいだに体を反転させた。

 そこに見たのは、プラグスーツのような衣装を着込み、背中に模造品の翼のようなものをたたえた、髪の短い女性だった。その女性は海底に沈みゆく中で、柔らかい微笑みをシンジに向けていた。

「綾波? いや、違う。そうか、この時のために、ずっと僕の中にいたんだね。母さん」

 シンジは胸の内に広がる感情を噛みしめるように顔を歪めた。

 エヴァ初号機が残像を伴って13号機と分離した。そして13号機の両腕に後ろから抱かれて、もう一対の両手に握られた槍を受け入れるかのように、初号機自身が腕を広げた。

「やっと分かった。父さんは、母さんを見送りたかったんだね。それが父さんの願った、神殺し」

 初号機と13号機が共に咆哮を上げた。そして槍を振り上げた13号機は、初号機の胸を、そしてそれを抱きすくめる自身をも長い槍で貫いた。

 同時に零号機が、2号機が、3号機が、ネーメズィスシリーズが、オップファータイプが、背後に表れては槍の力で消滅する。

 それが行われているのは、綾波の巨像の直上だった。シナリオが書き換わり、綾波の巨像が倒壊を始めた。両手首と頭部は独立して浮かんでいるが、胴体がバランスを失って弓なりに背中を反らせると、引きずられるようにして宙を移動した。

 白い光が発生し、それまで隠れていた大地が表れた。ガイウスの槍は元の姿を取り戻し、初号機と13号機を串刺しにした状態で、輝いた。

 それが引き金となって、エヴァ・インフィニティの大群が爆音を伴ってばら撒かれた。

「さようなら。全てのエヴァンゲリオン」

 宇宙空間に四散した数え切れないほどのインフィニティが、重力に引かれて母なる大地へと落ちていく。その過程で、人々の意識で形成されていたエヴァンゲリオンの姿が、人の姿を取り戻して個々の存在へと分離していく。

 上空から逆さまに落下していく存在には、人間以外の動物も混ざっていた。そして誰もが眠るように目を閉じ穏やかな微笑を浮かべていた。ゆっくりと雲の谷間に向かって降下する雪のような個体を、暁光が鮮やかな色彩をもって祝福してくれる。

 宇宙空間では種子保管ユニットが安定軌道を航行していた。ケンスケの根城にはアスカのエントリープラグが到達していた。温泉ペンギンたちが、たくましく暮らす湖に漂着したWILLEヴィレの脱出カプセルを不思議そうに眺めていた。踏み荒らされてひび割れた大地に、新しい芽吹きが見え隠れしていた。

 

 シンジは抜けるような青空と透き通る海が見渡せる浜辺で、じっと潮騒を聞いていた。座っていると、背景が線に変わり、色彩が抜けて、動きもぎこちなくなってきた。この世界が、虚構が、終わりを迎えようとしていた。シンジは、それを黙って受け入れようとしているのだった。

 シンジが完全に停止しかけたその時、一本の線に変わっていた海面が大きく隆起し、巨大な人型の兵器が現れた。押し出された波に揉まれて、シンジは呻き声を上げた。しかし、全身ずぶ濡れになった彼の表情は晴れやかだった。

 シンジは、そそり立つ巨大な人型を見上げる。その肩に人の姿を認めたかと思うと、元気な声が上がった。

「よっしゃー! 間に合った」

 マリは眼鏡を外して、得意げな笑顔を見せた。

「フッ、ぎりぎりセーフね」

 シンジは腰を抜かした時のような姿勢でそれを見ていたが、相手に気づいて立ち上がると、砂浜を蹴って走り出した。

「マリさん」

 マリは改8号機の肩から海中へダイブし、胎児のような姿勢を解いて、海面に向かって語りかけた。

「ありがとう。8プラス9プラス10プラス11プラス12号機。ご苦労さま。最後のエヴァンゲリオン」

 エヴァの各機体が役目を終えて退場する。マリは海面に浮上すると、映画のワンシーンのように長い髪を振り上げて、日の光の下で息を吸った。

 制服姿の彼女の元へ、シンジが駆け寄る。

「マリさん!」

 マリは赤いフレームの眼鏡を掛け直して、波打ち際で振り向いた。

「お待たせ! シンジ君」

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 シンジが意識を取り戻したのは駅のホームだった。

 パンタグラフが目に入る。構内放送のチャイムが流れる。そして、どこからともなく乾いたモーター音が聞こえてきた。

『間もなく、列車がまいります。危ないですから、黄色い点字ブロックまでお下がりください』

 黒いスーツ姿の傍らに鞄。シンジはベンチに座って、向かいのホームを見るともなく見ていた。

 馴染みの顔が、あったように感じた。その姿はホームに到着した列車に隠れて見えなくなってしまった。

「だーれだ」

 視界が人の手で塞がれた。背後に来た人物は、女性の声を発した。

「胸の大きい、いい女」

 シンジは淀みなく答えた。

「御名答」

 すると長い髪の女が、シンジの前に回り込んで、首筋に鼻先を近づけた。

「相変わらずいい匂い。大人の香りってやつ?」

 栗色の髪、翡翠の瞳。桃色のルージュが似合っていた。

「君こそ相変わらず可愛いよ」

 相手の赤いフレームの眼鏡をずらして、シンジは冗談めかして言った。

 灰色のニットを白いシャツの上に重ねて桃色のジャケットを羽織った女性は、シンジの首に手を回した。

「ほほう、一端の口を利くようになっちって」

 彼女は、そこに残っていたDSSチョーカーを自然な手付きで外すと、指先でくるりと回してからジャケットのポケットに入れた。

「さあ、行こう。シンジ君」

 シンジは利発的な女性が差し伸べた手を握り返して、引いた。

「うん。行こう!」

 階段を駆け上がる二人の背中が並んで弾む。

 改札を抜けて宇部新川駅の外に出た二人は、街の風景に溶け込むかのように遠ざかっていった。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

――終劇


映像の書き起こし部分に関しては著者の独自の解釈を含みます。よって、厳密に公式の意図を反映したものではない可能性があることをご留意ください。また、作品に登場する直接のセリフ等は全て©カラーに帰属します。